新聞の夕刊で「学研」の人材募集を見つけるも、すでに募集は終わっており、「学研」の創業者で社長(当時)の古岡秀人氏に直接手紙を書いて就職することができたという、ムツゴロウこと畑正憲(はた まさのり)さんは、その後、映像部門に配属されると、”神が与えてくれた職業”と思うほどに仕事が面白く、家に帰るのも忘れるほどのめり込んだそうです。
「ムツゴロウ(畑正憲)は昔「学研」の社長に手紙を書いて就職していた!」からの続き
学研では映像部門に配属されていた
直接、社長の古岡秀人氏に直接手紙を書き、「学研」に就職することができたというムツゴロウさんは、これまで学んできた学識を活かしたいと思い、社長にその旨を伝えると、
社長は、
だったら動物生態室に行きなさい
と、言ってくれたそうで、
ムツゴロウさんは、映像部門に配属され、教育関係の番組や映画を制作することになったそうです。
学研での仕事は”神が与えてくれた職業”と思うほどのめりこんでいた
すると、撮影のため、細かい解剖などをやることになったそうですが、これが面白くて仕方がなく、家に帰ることも忘れるほど、撮影に没頭したそうで、ムツゴロウさんは、この時、本当に、”神が与えてくれた職業”だと思ったそうです。
(ムツゴロウさんが初めて手掛けた作品は、「カエルの発生」で、卵がオタマジャクシになるまでを撮影したものだったそうです)
会社を休ませろと署名活動が起きていた
実際、いつも長時間会社にいたというムツゴロウさんは、
畑を休ませろ、家に帰らせて眠らせろ
と、会社の同僚に、署名活動のようなことをされたことがあったそうで、ムツゴロウさんは、それを無視したそうですが、
当時のムツゴロウさんにとっては、睡眠不足やそれに伴う体の負担などどうでも良かったほど、仕事が面白かったのだそうです。
ちなみに、それでも、(若かったこともあり)ムツゴロウさんのお給料はまったく良くなく、生活は苦しかったそうで、ここでも、ギャンブルで稼いでいたのだそうです(笑)
就職して最初の半年は雑誌の原稿取りの仕事をするも生意気で作家を激怒させたことがあった
ところで、ムツゴロウさんは、就職して最初の半年くらいは雑誌の原稿取りもさせられていたそうですが、
(出版社のため、そのような仕事を経験することも大事だということで)
「3年の学習」という原稿を作者の家に取りに行った時のこと、まだ、全然書けていなかったため、奥さんの作ってくれた夕飯をごちそうになりながら、作者の人に科学的なことをどんどん質問したそうですが・・・
作者の人は、まるで答えることができず、(恥をかかされたことに激怒し)後で編集部に「なんていう奴を寄こすんだ!」と電話がかかってきていたそうで、
ムツゴロウさんは、その時のことを、
僕も若かったし、生意気なところがあったんですよね(苦笑)
と、語っています(笑)