「学研」での仕事は、”神が与えてくれた職業”と思うほど、楽しくて仕方がなく、会社の同僚からは、「畑を休ませろ、家に帰らせて眠らせろ」と署名活動のようなことをされるほど、いつも長時間会社にいたという、ムツゴロウこと畑正憲(はた まさのり)さんですが、ひょんなことから会社を解雇されたといいます。

「ムツゴロウ(畑正憲)の「学研」時代は帰宅しないほど仕事に夢中だった!」からの続き

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学研を解雇されていた

ムツゴロウさんは、1967年、「われら動物みな兄弟」(デビュー作)という本を出版しているのですが、これが、「学研」ではない別の出版社から出版されたことから、「学研」で大きな問題になり、「学研」を解雇されたといいます。

というのも、ある日のこと、ブローカーのような人物が、ムツゴロウさんの勤務する「学研」の「動物生態室」に来て、

4チャンネル(日本テレビ)で子ども向けのシリーズ作品を作る。何かアイディアはないか?

と、聞いてきたそうで、

ムツゴロウさんもアイディアを書いて提出したそうですが、その時は採用されなかったそうです。

「われら動物みな兄弟」の原稿を他社に渡してしまったのが解雇の原因

ただ、その後、そのブローカーと街でばったり出会うと、

その時、

今度、俺は出版社を立ち上げるから。何か書くものはないのか?

と、聞かれたそうで、

ムツゴロウさんは著書「われら動物みな兄弟」の土台となる原稿(学研の社内報に書いていたコラム)を渡したそうですが、これが大問題に発展したそうで、ムツゴロウさんは「学研」を解雇されてしまったのだそうです。

(学研はこの「われら動物みな兄弟」の原稿を(ムツゴロウさんが社内報に書いていたコラムだったことから)出版する気はなく、(ムツゴロウさんいわく)個人で作ったような出版社から出た、本当に粗末な本だったそうですが、学研にとっては、出版社である以上、自社の社員が書いた文章がよその出版社から出版されるというのは、見過ごすことのできない重大なことだったそうです)

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解雇されるも学研には感謝していた

それでも、ムツゴロウさんは、「学研」に対して恨みを持ったことはなく、それどころか感謝しており、いろいろなところで、「あんなにお世話になった会社はない」と言ってきたそうで、

(その気持は今でも変わらないそうです)

実際、解雇されてからも、創業者で社長(当時)の古岡秀人氏とは、時々、2人きりで食事をするなど、良好な関係を築いていたそうです。

「ムツゴロウ(畑正憲)は若い頃「電通」にも勤めていた!」に続く

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