映画監督の大島渚さんとは、「松竹」からの独立直前に結婚したことから、新婚生活は経済的に困窮し、かねてより憧れていた専業主婦にはなれず、むしろ、一家の大黒柱として働かなくてはいけなくなったという、小山明子(こやま あきこ)さんですが、今回は、そんな小山さんから見た、大島さんの意外な素顔をご紹介します。
「小山明子の夫・大島渚との馴れ初めは?」からの続き
大島渚についていこうと思った出来事とは?
新婚時代には、一家の大黒柱として家庭を支えていたという小山さんですが、女優の仕事を終えて家に帰ると、大島さんは、毎晩のように映画仲間を呼び、難しい映画談義を繰り広げていたそうで、
小山さんは、みんなに食べるものを作って出すことはできても、その議論には加わることができず、大学を出ていないというコンプレックスもあったことから、
ある日のこと、
あなたは結婚する相手を間違えたわね。こういう議論に加われる、大学出の人を選べばよかったのに
と、大島さんに言ったことがあったそうですが、
大島さんは、
あなたは撮影所という大学に5年間通って、立派に卒業しているじゃないですか。それで僕は十分です
と、言ってくれたそうで、
その時、
やっぱり、この人についていこう
と、思ったそうです。
大島渚の素顔は穏やかで優しい人だった
そんな大島さんは、テレビでは、しょっちゅう、「バカヤロー」と言っていたため、いつも怒鳴っているキャラクターとして定着していたのですが、それは、あくまで、テレビ用のキャラクターで、家では家族に声を荒げたことなど一度もなく、いつも穏やかな人だったそうです。
また、小山さんが仕事で遅くなる時にも、必ず起きて待っていてくれ、小山さんが、映画やテレビの撮影現場であったいろいろなことを話したり、愚痴を言ったりするのを、微笑みながら黙って聞いてくれたそうです。
そして、小山さんが、「私のどこが好き?」と聞くと、大島さんは、いつも、「全部」と即答してくれたそうで、本当に優しい人だったそうです。
カンヌに連れて行ってもらうのは交際中の約束だった
そんな大島さんは、交際中、小山さんへのラブレターに、「世界で通用する監督になって君をカンヌに連れて行く」と書いていたことがあったそうで、
(この言葉に、小山さんは、一番、心を揺さぶられたそうです)
実際、大島さんは、海外で評価されるようになり、約束通り、何度もカンヌに連れて行ってくれたそうですが、
「戦場のメリークリスマス」(1983年)の時には、ファッションデザイナーの山本寛斎さんがデザインしてくれた、赤と黒のとても派手なTシャツをみんなで着て歩くと、それが現地で評判になり、このことがとても楽しかったそうで、今では、懐かしい思い出となっているそうです。