「天皇陛下のために死ね」と繰り返し教育されていたことから、海兵に行って軍人になるのが夢で、どのように華々しく死ぬか、死に方ばかり考え、海軍の特攻隊員として戦闘機に乗り、戦艦から飛び立ち、敵の軍艦にぶつかって死ぬことを夢見ていたという、田原総一朗(たはら そういちろう)さんですが、にもかかわらず、敗戦後、首相の東条英機らはA級戦犯として逮捕される中、天皇は逮捕されないことに、天皇制や裕仁天皇(昭和天皇)の存在に疑問を持つようになったといいます。
「田原総一朗は少年時代「終戦」に一瞬絶望していた!」からの続き
敗戦後は裕仁天皇(昭和天皇)の存在に疑問を持つようになった
田原さんは、敗戦するまでは、天皇陛下のために軍隊に入り、天皇陛下のために出征し、天皇陛下のために死ぬのだと思い込んでいたほか、小学校の教師たちにも「天皇陛下のために死ね」と教えられ、
(首相だった東条英機のために死のうと思ったことは一度もなかったそうです)
様々な式典が開催された際には、裕仁天皇(昭和天皇)の肖像画が講堂の奥に掲げられ、「額の下の縁から上へ目線をやってはいけない。天皇の御真影を見たら目が潰れる」ときつく言われるなど、天皇は絶対的な存在だったそうですが、
(もちろん、こっそり見ていたそうですが)
敗戦後は、東条英機らがA級戦犯として逮捕される中、昭和天皇はなぜ捕まらないのかという素朴な疑問が拭えなかったそうです。
子供なりに天皇の疑問を小説に書いたこともあった
そんな田原さんは、小学6年生の時には、戦争に負けたのに、なぜ天皇は生き残り、国家も存続しているのか納得がいかず、子供なりの疑問を、
あるところに島国があった。そこに、王様がいた。王様の旗もあった。その国はほかの国と戦争をして負けた。でも、王様は死なずに生きている。旗もヘンポンと翻っている
というストーリーの小説を書いたこともあったそうです。
また、ある時、思い切って、教師に、「天皇はどうして裁かれないのか」と問うたことがあったそうですが、教師からは、「そんなことを聞くな」と怒られたそうです。
裕仁天皇(昭和天皇)の凍りついた笑顔に好感を持つ
そんな中、裕仁天皇(昭和天皇)が全国行脚の一環として、彦根にもやって来て、田原さんの自宅の前を通ることになったそうで、田原さんは、食い入るように昭和天皇の行列を見たそうですが、
(昭和天皇はオープンカーに乗って、彦根の町を回っていたそうです)
生まれて初めて直に見た昭和天皇の姿は、どう見ても、ただの疲れ切った中年男性にしか見えず、それでも、昭和天皇は笑顔を作っていたそうですが、その笑顔は凍りついたように動かなかったそうで、
田原さんは、その様子を見て、
大変なんだなあ
と、子供心にも思い、昭和天皇に好感を持ったそうです。
(なぜ、東条英機が裁かれ、天皇は裁かれないのか(天皇制はおかしい)という疑問はなくならないも、人間としての天皇には、親しみを感じたのだそうです)
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