「岩波映画製作所」に入社すると、撮影部に配属され、撮影助手として働き始めるも、失敗の連続だったという、田原総一朗(たはら そういちろう)さんは、やがて、撮影助手を降ろされたそうで、仕事がなくブラブラしているところ、テレビ番組「たのしい科学」のカメラマン・藤瀬季彦さんに声をかけられ、藤瀬さんのアシスタントとして働き始めたといいます。
「田原総一朗は「岩波映画製作所」で撮影助手として働くも失敗の連続だった!」からの続き
麻雀に参加しなかったことから嫌がらせを受けたことも
撮影助手の仕事は失敗の連続で、さすがに、自分でもダメだと思っていたという田原さんですが、さらには、夜になると、チームのメンバーで卓を囲んで麻雀に興じることが多かった中、人数が足りていたことから、田原さんが入らないでいると、それが気に食わないメンバーから、嫌がらせを受けたこともあったそうです。
というのも、田原さんは、みんなが麻雀をしている時、一人、本を読んでいたそうで、しかも、その時、読んでいたのが、たまたま、サルトルの「存在と無」だったため、「こいつは鼻持ちならない野郎だ」と思われたそうで、「そんな本を読んでいるヒマがあったら、ロケ車でも洗え」と、カメラマンに怒鳴られたそうです。
撮影助手を降ろされる
そして、ロケが始まって1ヶ月半ほど経った頃、
ちょっと君、機材を取りに東京に戻ってほしい
と、カメラマンに用事を言いつけられ、
田原さんは、言われた通り、東京に戻ったそうですが・・・
すでに別の社員が機材を持って大阪に向かっていたそうで、田原さんは、カメラマンに使えない奴だとみなされ、第2撮影助手を交代させられたのだそうです。
こうして、入社から50日足らずでお払い箱となってしまった田原さんは、
僕はどうしましょう
と、上司に指示を請うたそうですが、
「今のところ、仕事はないよ」と言われ、その日以来、出社しても何もすることがなく、ただただ、ブラブラして過ごしたのだそうです。
テレビ番組「たのしい科学」のアシスタントになる
そんな中、テレビ番組「たのしい科学」のカメラマンの藤瀬季彦さんが、
おまえ、遊んでいるのなら手伝え
と、助け舟を出してくれたそうで、
田原さんは、テレビ番組「たのしい科学」のアシスタントの仕事をすることになったそうです。
(田原さんいわく、藤瀬さんは入社早々に仕事を干された自分を哀れに思ったのかもしれないとのこと)
来る日も来る日もスポイトでミルクを落としていた
ちなみに、この「たのしい科学」は15分ほどの科学番組で、実験を行っているところを撮影して番組を制作していたそうですが、
田原さんは、水に入れたシャーレにスポイトを使ってミルクをポツンポツンと落とす役割で、藤瀬カメララマンの撮影助手として、来る日も来る日も、スポイトでミルクを落としたのだそうです。
(ミルクのしずくが水面に落ちてパーッと王冠のように広がる模様が5万倍の高速度カメラで撮影されたそうです)
「田原総一朗は「たのしい科学」でポリオをテーマにシナリオを書いていた!」に続く