「出発~少年院を出たMの場合~」、「『わたしたちは・・・』~カルメン・マキの体験学入門」と、次々と、前例のない過激なドキュメンタリーを制作していた、田原総一朗(たはら そういちろう)さんは、NHKから解雇された龍村仁さんのドキュメント「あるテレビディレクターの投げた波紋」も制作したそうですが・・・
「田原総一朗はカルメン・マキに詩の内容通りの生活をさせていた!」からの続き
映画「あらかじめ失われた恋人たちよ」を製作
テレビドキュメンタリー番組をずっと作り続けてきた田原さんは、いつしか、「映画を1本撮ってみたい」という願望にかられるようになったそうで、1971年には、ATG映画「あらかじめ失われた恋人たちよ」を製作しているのですが、
(劇作家で友人の清水邦夫さんと共同監督)
そんな田原さんに触発されたのか、1974年には、NHKのディレクターだった龍村仁さんも、矢沢永吉さん率いるロックバンド「キャロル」の映画「キャロル」を、田原さん同様、ATGで制作したそうです。
(龍村さんは、もともと、NHKのドキュメンタリー番組として「キャロル」を制作したそうですが、ドキュメンタリーにふさわしくないという理由で、完成後3ヶ月に渡って店晒し(たなざらし)にされたうえ、プロ野球中継のスタンバイ番組として放送されたそうで、このことがきっかけで、映画を制作しようと思い立ったのだそうです)
NHKに解雇された龍村仁の裁判で証言
ただ、龍村さんは、映画を作るため、NHKに休暇願いを出すも、認められず、許可を得られないまま、2ヶ月ほど休んで映画を作ったことから、長期無断欠勤を理由にNHKから解雇されたそうで、
(そもそも、休暇が認められなかったのは、アナウンサーやプロデューサーは、本を書いたり、講演することは認められるも、映画制作は認められていなかったからだそうです)
その後、龍村さんは、解雇処分の撤回を求めて裁判を起こしているのですが、
田原さんも証人として出廷し、
東京12チャンネルのディレクターとて会社を休んで映画を撮ったけれども、私は解雇にならなかった
と、証言したのだそうです。
(龍村さんの解雇処分が不当かどうかという点については、何も意見を述べず、事実のみを淡々と述べるにとどめたそうです)
ドキュメンタリー「あるテレビディレクターの投げた波紋」を制作するも・・・
そこで、田原さんは、龍村さんが解雇されたのをきっかけに、この問題についても取材したそうで、龍村さん本人を密着取材するほか、龍村さんと関わりのあるNHKのディレクターやカメラマンにも直接取材交渉し、
(場合によっては、「東京12チャンネル」社内のプロデューサーも取材するつもりでいたそうです)
ドキュメンタリーを制作している人間として、「キャロル事件」や龍村さんの解雇処分についてどう思うか、インタビューし、ドキュメンタリー「あるテレビディレクターの投げた波紋」(1974年未発表)を制作したそうですが・・・
「田原総一朗はNHK問題で朝日新聞の取材に答え左遷されていた!」に続く