NHKのディレクターだった龍村仁さんがNHKに解雇された問題を取り上げ、龍村さんに密着取材したドキュメンタリー「あるテレビディレクターの投げた波紋」を制作した、田原総一朗(たはら そういちろう)さんですが、NHKからクレームが入り、放送が中止されたうえ、朝日新聞の取材に答えたことで左遷されてしまったといいます。

「田原総一朗は昔NHKに解雇された龍村仁のドキュメントを制作していた!」からの続き

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「あるテレビディレクターの投げた波紋」がNHKからのクレームで放送中止に

NHKのディレクターだった龍村仁さんがNHKに解雇された問題を取り上げ、ドキュメンタリー「あるテレビディレクターの投げた波紋」を制作した田原さんですが、まだ、編集の段階だったにもかかわらず、NHKからクレームが来て、放送が中止になってしまったそうで、

田原さんは、そもそも、NHKの広報を通して取材を申し込んでいなかったため、なぜ、クレームがつくのか、当初は不思議で仕方がなかったそうですが、

よく考えると、おそらく、田原さんの取材を受けたディレクターたちが上司に密告したのだろうと思いあたったそうで、大人のくせに、子供が先生に言いつけるように上司に密告したNHKの職員たちに対し、情けなさと腹立たしさを感じたそうです。

「東京12チャンネル」がNHKからのクレームで放送を中止した理由とは?

ちなみに、「東京12チャンネル」が、NHKからのクレームですぐに放送中止を決めたのは、当時、「東京12チャンネル」は、外国から輸入したフィルムを放送していたそうですが、その際、周波数のようなものを変換しないと放送できないところ、その装置を持っておらず、NHKに変換してもらって放送していたためで、

NHK側から、

龍村の解雇に関する番組を放送するなら、フィルムの変換はやらない

と、脅かされ、NHKの言う通り、放送を中止したのだそうです。

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朝日新聞の取材に答え左遷される

さておき、その後、田原さんは、この事件を嗅ぎつけた朝日新聞の記者・蜷川真夫さんの取材を受け、事の顛末(てんまつ)を説明したそうですが、

ほどなくして、「NHKの圧力で放送中止」という見出しの大きな記事が朝日新聞の社会面に掲載されたそうで、田原さんは、報道局から制作局へと左遷されてしまったのだそうです。

ただ、田原さんは、このことについて、著書「塀の上を走れ 田原総一朗自伝」で、

私は何度も仕事を干されたり、左遷されたりしていたので、特別の衝撃はなかった。もっとも、制作局に移っても、仕事らしい仕事はなかった。

と、語っています。

「田原総一朗が連載した「原子力戦争」は国会で問題になっていた!」に続く


塀の上を走れ 田原総一朗自伝

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