1965年、「君が好き」で歌手デビューして以来、50年以上に渡り、芸能界で活動している、千昌夫(せん まさお)さん。今回は、そんな千さんの生い立ちをご紹介します。
年齢は?出身は?身長は?
市毛さんは、1947年4月8日生まれ、
岩手県陸前高田市竹駒町の出身、
身長170センチ、
体重67キロ、
靴のサイズは25.5センチ、
血液型はO型、
学歴は、
水沢第一高等学校中退、
ちなみに、千さんは、大の愛鳥家で、鳥を12羽も飼っているそうです。(2021年現在)
本名は?芸名の由来は?
千さんの本名は、「阿部健太郎(あべ けんたろう」で、作曲家の遠藤実さんに弟子入りして8ヶ月が過ぎた頃、遠藤さんより、「千年も万年も覚えられている歌手になるように」と、「千昌夫」と名付けられたそうです。
(一時期は、所有する資産の多さから、「億昌夫」「千億昌夫」と呼ばれたことも)
幼少期は貧しい生活を送っていた
もともと、阿部家(千さんの本名)は、明治時代以来、広い田畑を持つ農家だったそうですが、戦後の「農地開放」により、代々の土地を失ってしまったそうで、
そんな、阿部家が傾き始めた頃、千さんは、農業を営む父・健樹さんと母・みどりさんのもと、3人兄弟の次男として誕生したそうで、
わずかばかりの田畑を耕して得た米や野菜の収穫は、家族5人が食べる分だけで精一杯で、とてもお米を売って収益を得るには至らず、貧しい生活を送っていたそうです。
小学4年生の時に父親が他界
そのため、お父さんは、左官として北海道まで出稼ぎに行っていたそうで、冬の期間を除くと、ほとんど家にいなかったことから、千さんが幼い頃は、ほとんど、母子家庭のような状態だったそうですが、
そんな中、千さんが小学4年生の時には、お父さんが狭心症により、48歳という若さで、突然、他界したそうで、頼りにしていたお父さんの稼ぎがなくなったことで、今度は、お母さん(当時33歳)が、往復4時間かけて、宮城県気仙沼市の工場まで働きに出ることになったそうです。
ただ、お母さんの得る収入はわずかだったことから、電気料金の支払いができず、電気を止められたこともあったそうで、そんな時には、千さんは、冷え切った明かりのない暗い部屋で、就学前の弟・国男さんの子守をしながら、お母さんの帰りをじっと待っていたのだそうです。
(陸前高田市は、雪は少ないそうですが、朝方などは氷点下10度になるほど冷え込みが激しい土地だったそうです)
「千昌夫は高校生の頃ずっと現状から抜け出す方法を考えていた!」に続く