ファーストシングル「私の小さな人生」のレコーディングをした翌日に、メンバーの宗田慎二さんと末広信幸さんが脱退し、やむなく、「チューリップ」を解散したという、財津和夫(ざいつ かずお)さんですが、今回は、二人の本当の脱退理由を本人の証言を交えて、ご紹介します。
「財津和夫は「チューリップ」でデビュー直後メンバーが脱退し解散していた!」からの続き
「チューリップ」のメンバーの宗田慎二と末広信幸に「財津の敷いた線路の上は歩けない」と言われていた
1971年、「チューリップ」として、ファーストシングル「私の小さな人生」でレコードデビューするも、レコーディングをした翌日に、宗田慎二さんと末広信幸さんが脱退したことから、やむなく、「チューリップ」を解散したという財津さんですが、
宗田慎二さんと末広信幸さんには、脱退理由として、
もう財津の敷いた線路の上は歩けないんだ
と、言われたそうです。
(財津さんは、「うすうす、そうなる(脱退する)のかなと感じていた。」そうです)
「チューリップ」の元メンバー宗田慎二と末広信幸に再会
その後、長い時が経ち、財津さんは、当時の仲間の本当の気持ちが知りたくなり、1994年、NHKの同窓会紀行「それぞれの歌の別れ~財津和夫と仲間たち~」(12月30日放送)で、宗田さんと末広さんを、当時、一緒に活動していた音楽喫茶「照和」へ呼び出すと、約25年ぶりに3人でライブを行って、アマチュア時代の曲「柱時計は10時半」を演奏し、
(この時、財津さんは、二人の、今も残る音楽への熱い気持ちを感じたそうです)
ライブ終了後には、二人に、なぜ、「チューリップ」を離れたのかを尋ねているのですが、二人は、脱退した本当の理由を3つ語っています。
(もちろん、「財津の敷いた線路の上には歩けない」というのも理由の一つだったそうですが)
宗田慎二と末広信幸が「チューリップ」を脱退した本当の理由とは?
まず、一つ目の理由は、二人は、財津さんがワンマンで思い上がった人間と感じ、そんな財津さんとは付き合いたくなかったからだといいます。
というのも、宗田さんによると、当時、財津さんは、新しいメンバーを獲得するのに、他のバンドのメンバーを辞めさせて引き抜いていたそうですが、そのメンバーが思いのほか下手だと、以降、そのメンバーに鉢合わせしないように警戒し、練習場所を教えないなど、無責任で傍若無人な振る舞いをしていたそうで、さらには、宗田さんと末広さんも徒党を組まされ、同様のことをさせられていたのだそうです。
そして、二つ目は、財津さんのことを思い上がった人間だと感じつつも、財津さんには自分たちがいなくてもやっていける才能があると、当時から高く評価していたこと、
三つ目は、(これが一番の理由だそうですが)自分達にはプロでやっていく実力がなく、将来の不安があったことで、
財津さんの「プロのミュージシャンとして成功する」という野心とは正反対に、二人の心は揺れ動いていたのだそうです。
(左から)財津さん、宗田慎二さん、末広信幸さん。
宗田慎二&末広信幸と和解
そんな告白を聞いた財津さんは、プロへの野心が強かったあまり、他人の気持ちをまったく考えず、二人を傷つけていたことに気づいたと、
自分の中にあった嫌な部分がやっぱり振り返ってみてはっきりでてきたなと、すごく反省させられました。
と、コメント。
また、二人には、
(当時、二人に対し)生意気にもこれが私の考える最強メンバーだと思っていたのね。それで無しってなった時、手足をもぎ取られた感覚になったよ
と、初めて正直に伝えたそうで、
本音で話し合った結果、3人の長年のわだかまりは解け、その後、初めて一緒にレコーディングした曲「私の小さな人生」を宗田さんが経営するスタジオで鑑賞し、男の友情を確かめ合ったのだそうです。
「財津和夫は新生「チューリップ」で再デビューも当初はさっぱりだった!」に続く
(左から)財津さん、末広信幸さん、宗田慎二さん。