読売ジャイアンツで長きに渡り活躍して「ミスター・ジャイアンツ」と称され、現在は巨人軍終身名誉監督を務める長嶋茂雄さんを父親に持つ、長島三奈(ながしま みな)さんですが、実は、お母さんは4ヶ国語を操るマルチリンガルで、1964年の東京オリンピックではコンパニオンを務めていたといいます。今回は、そんな三奈さんの両親を簡単にご紹介します。
年齢は?出身は?本名は?
三奈さんは、1968年6月8日生まれ、
東京都大田区の出身、
血液型はO型、
学歴は、
田園調布雙葉小学校・中学校・高等学校
⇒日本大学文理学部哲学科卒業
趣味は、
ドライブ、携帯ストラップ収集、
特技は、
テニス、ゴルフ、スキー、
ちなみに、本名は「長嶋三奈」だそうですが、お父さんである長嶋茂雄さんの背番号が「3」だったことや、3人目の子供だったことから「三奈」と名付けられたそうです。
(兄弟のうち、三奈さんと弟の正興さんは姓を「長島」と表記しています)
父親の長嶋茂雄はミスタージャイアンツで巨人軍終身名誉監督
三奈さんのお父さんは元プロ野球選手で巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄(ながしま しげお)さんです。
茂雄さんは、立教大学在学中、東京六大学野球で、本塁打記録を塗り替えるほか、2度の首位打者に輝く活躍で、同期の杉浦忠さん(南海ホークス・同監督)、本屋敷錦吾さん(阪急ブレーブス・遊撃手)と共に「立教三羽烏」と呼ばれ、
1958年に巨人軍に入団すると、いきなり、本塁打王、打点王を獲得する活躍で新人王を獲得し、以降、1974年に現役を引退するまで、首位打者6回(1959~1961年、1963年、1966年、1971年)、本塁打王2回(1958年、1961年)、打点王5回(1958年、1963年、1968~1970年)という輝かしい成績を残すほか、勝負強いバッティングと華麗な守備でファンを魅了し、「ミスター・ジャイアンツ」の愛称で国民的人気を博しました。
また、現役引退後は、1975~1980年、1992~2001年と、2度に渡って巨人軍の監督を務めると、通算1034勝、リーグ優勝5回、日本一2回と、監督としても輝かしい成績を収めて、2001年に勇退後は巨人の終身名誉監督に就任し、2005年には文化功労者、2013年には国民栄誉賞、2014年には名誉都民、2021年には文化勲章を受賞及び受章しました。
父・長嶋茂雄さん。
母親は4ヶ国語のマルチリンガルで「第18回オリンピック東京大会」でコンパニオンに務めていた
三奈さんのお母さんは、亜希子さんというのですが、1943年に東京で誕生すると、田園調布雙葉中学校・高等学校在学中には、米国インディアナ州のココモハイスクールに留学し、その後、ミネソタ州の聖テレサ大学を卒業したそうで、
そんな亜希子さんは、英語、フランス語、スペイン語が堪能だったことから、1964年の東京オリンピックの時、コンパニオンを務めていたそうですが、その際、スポーツ新聞社が企画した座談会で、長嶋茂雄さんと知り合うと、茂雄さんの猛アタックにより、出会って4ヶ月で結婚したそうです。
そして、結婚後、亜希子さんは、夫である茂雄さんのたった一つの注文だったという「男の職場に顔を出すな」という言葉を忠実に守り、茂雄さんの試合を観に行くことは滅多になく、茂雄さんの人生の節目において、大きな話題になった時でさえも、一切、公の場に姿を現していないのですが、
(夫婦揃っての取材や亜希子さんだけの写真撮影なども一切受けなかったとのこと)
家では、茂雄さんの体調管理のため、(お手伝いさんと共に)栄養を考えた食事を作るほか、6度目の首位打者となった1971年には、シーズン中ずっと、茂雄さんが眠るまで足腰をマッサージするなど、陰で茂雄さんをサポートしていたそうです。
(そんな亜希子さんも2007年9月18日、心不全のため、64歳で他界されています)
母・長嶋亜希子さん。
(ちなみに、亜希子さんの祖父の西村辰五郎さんは、出版社・「東雲堂書店」を経営し、石川啄木の「一握の砂」「悲しき玩具」、斎藤茂吉の「赤光」、北原白秋の「桐の花」、若山牧水の「別離」など、文学史に残る歌集を出版するほか、自身も、「西村陽吉」のペンネームで歌人として活躍したそうです)