巨人(読売ジャイアンツ)で長きに渡って4番として活躍し、長嶋茂雄さんと共に巨人の9年連続日本一に大きく貢献した、王貞治(王さだはる)さんですが、出産時は仮死状態で生まれ、幼い頃は病弱だったといいます。
「王貞治の父親は中国人!母親と中華料理店を経営していた!」からの続き
仮死状態で生まれ、幼少期は病弱だった
王さんは、中華料理店を経営するお父さんの王仕福さんとお母さんの登美さんのもと、6人兄弟(男2女4)の次男として誕生するのですが、仮死状態で生まれたそうで、なんとか一命は取り留めたものの、とても病弱だったそうです。
そこで、お母さんは、医者から「病弱な体を治すには日光浴がいい」と言われたことから、真夏に、王さんを日差しにさらしたそうで、近所の人には不審がられたそうですが、その甲斐あってか、小学校に上がる頃には、すっかり元気になり、町工場と民家が入り交じる下町の路地を走り回れるほどになったそうです。
次男として誕生するも妹が夭逝し末っ子して育つ
そんな王さんには、10歳年上の兄・鉄城さん、8歳年上の姉・幸江さん、4歳年上の姉・順子さんのほか、3歳年下に佳子さんという妹がいたそうですが、
佳子さんは生まれて数ヶ月で亡くなったため、王さんは、末っ子として育ったそうです。
幼少期の王さん。
双子(二卵性双生児)の姉も夭逝していた
また、王さんは二卵性双生児だったそうで、広子さんというお姉さんがいたそうですが、広子さんは、生まれた時は、丈夫で元気な赤ちゃんだったそうですが、その後、はしかからジフテリアにかかり、1歳3ヶ月で他界したそうです。
ちなみに、広子さんは、亡くなる前日、とても苦しんでいたことから、家族全員で看病したそうで、その甲斐あってか、朝になると少し元気になったそうですが、
(その際、まるで部屋の光景をその目に焼き付けるかのように、キョロキョロと見回していたそうです)
前日のこともあり、お母さんがタクシーに乗って病院に向かっていると、その途中で広子さんは容体が急変したそうで、病院に到着した時には、ぐったりとしていたそうで、医師には、診察を受ける前に、「亡くなっています」と告げられたのだそうです。
夭折した双子の姉が人生を支えてくれていると言われ育っていた
そして、広子さんの葬儀の時には、近所のお年寄りに、
一銭でも二銭でもお棺に入れて、体の弱い貞ちゃん(王さん)が無事に育つように頼みなさい
と、勧められ、お母さんは、5銭を棺に入れて、広子さんを送ったそうで、
事あるごとに、王さんに、
おまえは広子との二人力だから、体も強くなったし、運もあるんだよ
と、言っていたそうですが、
王さん自身も、広子さんが自身の人生を支えてくれていると信じているそうで、
著書「もっと遠くへ 私の履歴書(日本経済新聞出版)」に、
私は夏バテとも無縁で、他の選手が失速する暑い季節に本塁打を量産するのがタイトル争いのパターンだった。
決して大きくはない体のどこに、あれだけのエネルギーが秘められていたのだろうと振り返るとき、広子の力を思わずにいられない。
と、綴っています。
もっと遠くへ 私の履歴書(日本経済新聞出版)