巨人の打撃コーチに就任した荒川博さんから、「あと2年ダメだったらトレードされるかクビになる」と言われたことから、時間が残されていないと焦り、他にすがる人もいなかったことから、荒川さんについていくことに決めたという、王貞治(おう さだはる)さんは、荒川さんの教えにより、肉体の鍛錬のための走り込みや、合気道の「氣」の考え方を取り入れたスイングの練習などをしたといいます。
「王貞治は巨人入団3年目に荒川博が打撃コーチとなりダメ出しされていた!」からの続き
荒川博は肉体の鍛錬が重要だと考えていた
荒川博さんについていくと決めた王さんは、試合終了後、雨の日も風の日も、「道場」となっていた荒川さんの早稲田の自宅に通ったそうですが、
荒川さんは、まずは、打撃の技術よりも、それと同じくらい、肉体の鍛錬が重要と考えていたそうで、王さんは、半端ない走り込みをさせられたそうです。
(投球に差し込まれないためには、スイングの絶対的なスピードを増すことが第一条件となり、そのためには、バットを振り込まなければならなかったのですが、振り込むためには、どんなに練習してもへたばらない体力と、土台になる下半身を作り上げなければならず、走り込みが必要ということになったのだそうです)
合気道の「氣」の考え方を取り入れた素振(スイング)練習をしていた
また、荒川さんは、合気道の開祖とされる植芝盛平先生の元で修行するほか、合気道の原理を理論化し世界に広めた藤平光一先生にも師事し、「氣」の考え方を練習に取り入れていたことから、
王さんは、その教えに従い、インパクトの瞬間に気を集めるべく、息を止めてスイングを続けたそうです。
(インパクトとは、バッターがスイングしたバットとピッチャーが投げたボールがぶつかる瞬間のこと)
すると、最初は10回も振ると酸欠でクラクラしていたのが、鍛錬を重ねるうち、一息で30回振れるようになったのだそうです。
(この練習にどんな意味があるのかということは考えず、ただ、荒川さんについていけば間違いない、と信じてやっていたそうです)
特訓してもらうため荒川博の自宅に通っていた
そんな王さんは、試合終了後、銀座周辺で飲んでいても、途中で切り上げ(日付が変わっても)、
荒川さんに、
これからお邪魔していいですか
と、電話をして、早稲田にある荒川さんの自宅まで押しかけたそうで、
その後、荒川さんが早稲田から中野区の鷺宮に引っ越した後も、せっせと荒川さんの自宅に通い続けたそうです。
(荒川さんは、鷺宮で広めの一軒家を構えると、ネットを張って、10坪ほどのティー打撃ができるスペースを設けたそうです)
荒川博は自宅を訪ねるとたいてい麻雀中だった
ただ、荒川さんは、王さんが自宅を訪ねると、たいてい麻雀中で、「酔いを覚まして待っとれ」と言われたそうで、
(荒川さんの自宅には、淡路恵子さんら芸能界のスターも出入りしていたそうです)
練習が始まるのは、いつも午前2時を回っていたそうです。
(荒川さんの奥さん・和子さんは、王さんが夜中に押しかけても、嫌な顔一つせず、それどころか夜食まで作ってくれたそうで、荒川夫婦には子供がいなかったためか、とてもかわいがってもらったそうです)
「王貞治の一本足打法は当初はイメージトレーニング用だった!」に続く