高校時代は、親や学校への反発心から、尾崎豊さんの歌の世界にのめり込んでいったという、王理恵(おう りえ)さんですが、大学に入ると、ゴルフ好きだった父・王貞治さんの影響でゴルフを始め、一時は、ゴルフのプロを目指そうと考えたこともあったそうです。

「王理恵は高校生の時から尾崎豊の大ファンだった!」からの続き

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大学時代はゴルフサークルに入っていた

理恵さんは、中学、高校時代はバレーボールをしていたそうですが、お父さんの王貞治さんが現役時代からゴルフが好きで、子供の頃、練習場に連れて行ってもらうなど、ゴルフがとても身近な存在だったことから、青山学院大学に入学すると同時にゴルフサークルに入ったそうです。

(普段は厳しいお父さんも、理恵さんがゴルフを始めることが嬉しかったのか、この時だけは、すぐにフルセットを買ってくれたそうです)

そして、週2回、世田谷の芦花パークで練習し、そこで、グリップやアドレスの基本をサークルの先輩から教えてもらうと、最初のスコアは「180」くらいだったそうですが、「ボールは結構当たるもんだな」と思ったそうです。

大学時代はキャディーのアルバイトをしていた

また、(青山学院大学の1、2年生の授業は、厚木キャンパスで行われるため)厚木国際カントリー倶楽部でキャディーのアルバイトをしたこともあったそうで、

キャディーバッグを担いで、クラブを3本持って走らされるなど、大変だったそうですが、アルバイトの後にラウンドさせてもらえたそうで、コースデビューも、厚木国際カントリー倶楽部だったそうです。

大学のゴルフサークルは3ヶ月で退部し荒川博に師事していた

ただ、サークルでは、練習場で打席をみんなで使うため、1人1カゴしか打つことができなかったほか、練習後はファミレスでおしゃべりをして終わりという状況だったことから、「何か違うな」と思うようになり、ゴルフサークルは3ヶ月で退会すると、

その後は、お父さんの現役時代の打撃コーチ・荒川博さんに、明治神宮外苑ゴルフ練習場(東京・新宿区)でゴルフを教えてもらうようになったそうです。

すると、そのうち、7番アイアンで150ヤードある奥のネットまで届くようになったほか、スコアの方もどんどん良くなり、大学2年生の時には、スコア「90」台が出せるようになったそうで、大学時代には、女性ファッション誌「JJ」主催のゴルフ大会「キャンパスクラシック」で優勝したこともあったそうです。

荒川博の指導は「氣」を重視したものだった

ちなみに、理恵さんは、

荒川さんの指導法は「氣」を重視する独特のものです。「おヘソから水が『シャーッ』と出るイメージで打て」というアドバイスを受けながら、打つんです。

とにかく朝、昼、晩と施設内にあったレストラン「グリーンクレス」で荒川さんと食事をしている日もあったくらい、通い詰めていました。

と、語っています。

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ゴルフのプロを目指そうと考えるも父・王貞治に反対されていた

そんな理恵さんは、ある日、荒川さんと茨城ゴルフ倶楽部を回った際、なんと、前半のハーフで「39」というスコア出たそうで、後半は緊張して「50」だったそうですが、全体のスコアは「89」だったことから、荒川さんに、「プロを目指してみてはどうか」と勧められたそうで、

理恵さん自身も「チャレンジしてみたい」という気持ちが芽生えたため、大学卒業前の就職を考える時期に、お父さんに相談してみたそうですが、

お父さんには、

プロを目指すのにはゴルフを始めたのが遅いし、恵まれた環境で育ってきたおまえには、勝負の世界で必要なハングリーさが足りない

と、すぐに却下され、

また、理恵さん自身、このお父さんの言葉に納得したことから、ゴルフのプロを目指すのはやめたのだそうです。

「王理恵が若い頃は博報堂に就職しJリーグ立ち上げにも参加していた!」に続く

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