浪華商業高等学校(浪商)では、高校2年生の時に、エースで4番を任されるようになったという、張本勲(はりもと いさお)さんですが、同年夏、肩を痛めたことから、前監督の中島春雄先生の勧めでバッターに転向し、中島先生の指導のもと、バッティングの練習に励むと、2年生秋の近畿大会大阪府予選では、4番・センターで出場して、13試合で打率5割11本塁打を打つ活躍をし、プロ野球のスカウトから注目されるようになったといいます。
「張本勲は高2のとき巨人の水原茂監督から直々にスカウトされていた!」からの続き
高校2年生の夏に肩を痛めピッチャーを断念せざるを得なくなっていた
張本さんは、高校2年生のある日のこと、
立教大学で正捕手をしていた浪華商業高等学校(浪商)のOBに、
張本というのは誰だ。おれが受けてやろう
と、言われたことから、約300球投げ込んだそうですが、
実は、既にその前に300球近く投げていたことから、翌日には肩が上がらず、その後も、痛みが引かず、バットは振れてもボールが投げられない日々が続いたそうです。
(厳しい上下関係のもと、このOBの申し出を断ることができなかったそうです)
前監督の中島春雄にバッター専念を勧められ指導を受けていた
そんな状況に、張本さんは、もう野球ができないと落ち込み、前監督の中島春雄先生に相談に行ったそうですが、
中島先生には、
よかったじゃないか。もうピッチャーはやめろ
と、言われたそうで、
張本さんが、びっくりして、
ピッチャーをやめるくらいなら野球はやめます
と、言うと、
中島先生には、
ばかもの。おまえはもともとピッチャーの素質はないんだ。ピッチャーでは絶対に大成しない
と、言われたそうで、
張本さんが、
なぜですか
と、聞くと、
中島先生には、
バッターとピッチャーだったら成功する比率は8対2。バッターが8だ。だまされたと思ってバッターをやれ、しばらく外野を守れ
と、言われ、
(ただ単に、落ち込んでいた張本さんを慰めようとして、そのように言ったのではなく)
明日からバットをもってウチにこい
とも、言われたのだそうです。
近畿大会大阪府予選には4番・センターで出場し13試合で打率5割11本塁打を打つ活躍で注目を浴びる
そこで、張本さんは、毎日、中島先生の自宅に通いつめてバッティングの練習に励むようになったそうですが、やがて、バッティングのコツをつかみ、以前よりも、より打てるようになったそうで、
対外試合禁止処分が解けた2年生の秋、初の公式戦である、近畿大会大阪府予選に4番・センターで出場すると、13試合で打率5割11本塁打を打つ活躍をしたそうで、
一躍、打者としてプロのスカウトから注目され、2年生の終わりには、巨人以外のプロ野球チームからも誘いがくるようになったのだそうです。
「張本勲は高2のとき濡れ衣で野球部を休部させられていた!」に続く