小学生の時、一番上のお兄さんから初めてグラブを買ってもらうも左利き用で、強制的に右利きから左利きに変えさせられたという、江夏豊(えなつ ゆたか)さんは、中学入学後は野球部に入部するのですが・・・1年生の時、上級生と乱闘騒ぎとなり、野球部を退部させられたといいます。

「江夏豊は右利きから左利きに兄に強制的に変えさせられていた!」からの続き

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中学で野球部に入部するも下働きばかりで野球をさせてもらえず不満を持っていた

江夏さんは、1961年4月、園田中学校に進学すると、野球部に入部するのですが、園田中学校はそこそこの強豪校だったため部員が多く、1年生は下働きばかりで、1ヶ月経っても2ヶ月経っても、野球をさせてもらえなかったそうです。

そんな中、上級生とはいえ、自分より下手な連中がグラブをつけ、バットを持って練習していることに、江夏さんは納得がいかなかったそうです。

(1年生は、練習前には、「トンボ」でグランドを均(なら)すほか、バケツを持って石ころ拾いをし、練習が始まると、長靴を履いてグランドの脇の田んぼで球拾いをしなければならなかったそうです)

慕っていた先輩からの鉄拳に殴り返し野球部を退部させられる

そこで、江夏さんは、2年生に、山本登さんという大好きな先輩がいたことから、山本さんなら、自分たちの気持ちを分かってくれるだろうと思い、

先輩、なんで僕たちは野球ができないんですか

と、山本さんに訴えたそうですが・・・

返って来た答えは、「生意気だ」の言葉と鉄拳だったそうで、江夏さんは、「山本さんでなければこんなこと聞かなかったのに」と、慕っていただけに悔しく、つい、山本さんを殴り返してしまい、乱闘騒ぎに発展したそうで、

野球部顧問の杉山高毅先生が、自分の監督不行き届きだと尽力してくれるも、江夏さんは退部させられてしまったのだそうです。

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中学生の時は運動神経抜群だった

ちなみに、江夏さんは、野球部をやめさせられた後も、バレーボール部から誘われ、9人制の前衛のレフトでアタッカーを務めるほど運動神経が良かったそうですが、

それだけに、体育の授業はつまらなく、サボりの時間と決め込み、田んぼのあぜや保健室で寝てばかりいたそうですが、

にもかかわらず、ずっと、成績は「5」だったそうで、

先生に、

先生、おれ授業も出てないのに、なんで体育が5やねん

と、聞くと、

先生には、

おまえは走れば速いし、鉄棒、跳び箱、ボール蹴り、やればなんでも人よりうまい。だから5なんや

と、言われたそうです。

(一方、国語、算数、理科は授業に出席し、多少は勉強していたにもかかわらず、「2」 ばかりだったそうです(笑))

「江夏豊は中1の時から駆け引きの面白さに目覚めていた!」に続く

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