日本ハムファイターズで父親のように思っていた大沢啓二監督が勇退し、フロント入りすることになったことから、自宅に挨拶しに行くと、なんと、「お前を広島から取ったのは俺だ。俺が辞めるんだから、おまえも辞めろ」「おまえの次の就職先は俺が見つけてやる」と言われ、1984年、西武ライオンズに移籍した、江夏豊(えなつ ゆたか)さんですが、ある出来事で監督の広岡達朗さんに嫌われ、二軍に落とされると、それっきり一軍には呼んでもらえなかったといいます。

「江夏豊は大沢啓二監督が勇退するとき西武移籍を勧められていた!」からの続き

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朝食会で広岡達朗監督の隣の席に座る

1984年5月の終わり頃、大阪遠征の時のこと、東京から偉い人が来るということで、西武が定宿としていた新阪急ホテルで、監督、コーチ、主力が参加する朝食会が開かれたそうですが、

朝が弱い江夏さんは寝坊してしまい、席についたのは午前10時くらいだったそうで、空いている席は監督の隣の席だけだったことから、仕方なく、監督の隣の席に座って朝食を食べ始めたそうです。

広岡達朗監督の気分を害していた

ただ、メニューは、痛風だった広岡監督の方針で、脂っ気の少ない健康的なものばかり並んでいたそうで、

(広岡監督は、肉食に頼りがちな食生活の選手たちに、玄米や自然食を勧めるなど、食事から管理することで有名だったそうです)

江夏さんも痛風持ちだったため、ふと、何の悪気もなく、

監督はこういうものを食っとって、なんで痛風なの?

と、聞いたそうですが・・・

それまで黙々と食事をとっていた監督はすっと立ち上がり、部屋に帰ってしまったのだそうです。

(テーブルには気まずい空気が流れたそうです)

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ペナントレースの山場で何も聞かされないまま二軍に降格させられそのまま一軍に呼ばれなかった

すると、その後、江夏さんの出番は次第に減っていき、夏本番、これからペナントレースの山場という時、遠征の移動のために羽田空港に行くと、何も聞かされないまま遠征メンバーからはずされていたそうで、

(江夏さんは、マネージャーを通じて、「監督と話したい」と言ったそうですが、投手コーチの八木沢荘六さんが顔面を硬直してやってきたそうで、もうええわという気持ちになったそうです)

7月26日、何も聞かされないまま、出場選手登録を抹消(二軍に降格)されると、それっきり(7月12日の南海戦を最後に)一軍に呼ばれることはなかったのだそうです。

(阪神に入団して以来17シーズンで初めての二軍落ちだったそうです)


燃えよ左腕: 江夏豊という人生

「江夏豊は前年まで5年連続セーブ王も広岡達朗監督に嫌われ引退していた!」に続く


広岡達朗監督(左)と江夏さん(右)

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