投手陣の薄さが心配される中、2000年のON対決(長嶋巨人との日本シリーズ)では、第1戦、第2戦と、2戦先勝した、王貞治(おう さだはる)さんですが、その後は、松井秀喜選手、清原和博選手、江藤智選手、高橋由伸選手らを擁する強力巨人打線に太刀打ちできず、まさかの4連敗。ただ、これは戦力の差だけではなく、変則日程でダイエー選手らに大きな負担がかかっていたことも影響していたといいます。

「王貞治はON対決(長嶋茂雄との2000年日本シリーズ)で2勝先勝していた!」からの続き

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第3戦は高橋由伸の2ランホームランで先制されると・・・

2000年のON対決(長嶋茂雄監督率いる巨人との日本シリーズ)では、敵地・東京ドームで、第1戦、第2戦と長嶋巨人に連勝したダイエーですが、

福岡ドームでの第3戦では、先発のラジオ投手が、2回表、一死からマルティネス選手を四球で出し、高橋由伸選手にライトへ2ランホームランを打たれると、さらには、3連打で1点を追加され、0対3とリードされます。

城島健司のホームランと井口資仁のタイムリーで同点も松井秀喜の2ランホームランで敗戦

それでも、2回裏には、一死から、城島健司選手がシリーズタイ記録となる3試合連続ホームランを放ち1点を返すと、さらには、2安打と盗塁で一死二、三塁とし、井口資仁選手のタイムリー二塁打で一気に同点に追いつくのですが、(3対3)

3回表には、二岡智宏選手の2点タイムリーなどで一挙4点を奪われ(3対7)、7回表には、松井秀喜選手にライトへ2ランホームランを打たれ、3対9で巨人に敗れてしまいます。

第3戦から第6戦まで4連敗して日本一を逃す

すると、第4戦(10月26日)も、初回、いきなり、先発の田之上慶三郎投手が、先頭打者の仁志敏久選手に四球を出すと、清水隆行選手の送りバンドのあと、清原選手のタイムリーで1点を取られ(0対1)、

1回裏の攻撃ではニエベス選手のソロホームランで同点に追いつくも(1対1)、2回表には江藤智選手のソロホームランを打たれて再び逆転され(1対2)、そのまま1対2で敗戦。

第5戦(10月27日)も、高橋選手、江藤選手、村田選手、3人にホームランを打たれたうえ、ダイエー打線は、城島選手と秋山選手の2安打のみに抑えられ、0対6で完敗と、地元でまさかの3連敗。

そして、東京ドームに移動して行われた第6戦(10月28日)も、3回表、先発の永井投手のヒットのあと、鳥越裕介選手のタイムリー二塁打で先制するも(1対0)、

3回裏には、メイ投手をまさかの四球で出し、仁志選手のタイムリー二塁打で、あっという間に追いつかれると(1対1)、清原選手にヒット、松井選手に2ランホームランを打たれ、この回、一挙4失点。

4回表には城島選手のソロホームランで1点を返すも(2対4)、5回裏には、またしても、1四球5安打で5点を奪われ大差をつけられると(2対9)、

6回表には、江藤選手のエラーで1点を返すも(3対9)、そのまま、3対9で敗れ、日本一を逃したのでした。

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4連敗は変速日程の影響も大きかった

ちなみに、投手陣だけでなく、打撃陣も、巨人が42本塁打の松井秀喜さんを筆頭に203本塁打だったのに対し、ダイエーは、129本塁打と、圧倒的な力の差があったそうで、王さんは、第1戦(10月21日)、第2戦(10月22日)と勝利した後、巨人の重量打線が火を吹く前に決着をつけたいと思っていたそうですが、

本拠地・福岡ドームでの試合が、本来なら、移動日を挟んで、10月24日、10月25日、10月26日に、第3戦、第4戦、第5戦と行われるところ、

10月24日、10月25日は、福岡ドームに別のイベントが入っていたことから、第3戦は、移動日なしで(47年ぶり)10月23日、その後、10月24日、10月25日と空いて、10月26日、10月27日に、第4戦、第5戦が開催されたほか、

10月24日、10月25日は、イベントが入っていたため、練習場としても使用できなかったそうで、ダイエーの選手には大きな負担がかかっていたのだそうです。

  • 10月21日 第1戦 東京ドーム(5対3で勝利)
  • 10月22日 第2戦 東京ドーム(8対3で勝利)
  • 10月23日 第3戦 福岡ドーム(3対9で敗戦)
  • 10月24日 別イベント
  • 10月25日 別イベント
  • 10月26日 第4戦 福岡ドーム(1対2で敗戦)
  • 10月27日 第5戦 福岡ドーム(0対6で敗戦)
  • 10月28日 第6戦 東京ドーム(9対3で敗戦)

「王貞治はダイエー監督時代2年連続勝率1位で優勝を逃していた!」に続く

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