1952年、熱心にスカウトされて阪神に入団すると、入団1年目から遊撃手として規定打席(リーグ18位、打率.267)に到達し100安打するほか、小柄な体で敏捷な守備が「牛若丸」と称えられ、遊撃手としてベストナイン9回の最多記録をマークし、1992年には野球殿堂入りも果たした、吉田義男(よしだ よしお)さん。今回は、そんな吉田さんの現役時代の成績をご紹介します。

「吉田義男は阪神球団社長から突然引退を迫られていた!」からの続き

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プロ野球選手(現役)時代の打撃成績

それではここで、吉田さんの現役時代の打撃成績をご紹介しましょう。

  • 1953年(大阪)
    119安打 打率2割6分7厘 2本塁打 34打点 22盗塁(12二塁打 8三塁打 62得点 四球18 出塁率2割9分7厘 長打率3割4分4厘)
  • 1954年(大阪)
    118安打 打率2割7分3厘 3本塁打 41打点 51盗塁(16二塁打 3三塁打 80得点 四球46 出塁率3割4分3厘 長打率3割4分5厘)で、盗塁王
  • 1955年(大阪)
    147安打 打率2割8分1厘 3本塁打 28打点 38盗塁(24二塁打 5三塁打 67得点 四球20 敬遠0 出塁率3割1分3厘 長打率3割6分3厘)で、(最多安打)
  • 1956年(大阪)
    141安打 打率2割9分 8本塁打 34打点 50盗塁(20二塁打 7三塁打 65得点 四球46 敬遠4 出塁率3割5分1厘 長打率4割9厘)で、盗塁王
  • 1957年(大阪)
    125安打 打率2割9分7厘 8本塁打 32打点 25盗塁(13二塁打 5三塁打 60得点 四球36 敬遠6 出塁率3割5分5厘 長打率4割9厘)
  • 1958年(大阪)
    130安打 打率2割8分6厘 2本塁打 27打点 18盗塁(17二塁打 5三塁打 59得点 四球32 敬遠1 出塁率3割3分5厘 長打率3割5分8厘)
  • 1959年(大阪)
    127安打 打率2割7分2厘 5本塁打 32打点 13盗塁(18二塁打 8三塁打 60得点 四球29 敬遠0 出塁率3割1分9厘 長打率3割7分7厘)
  • 1960年(大阪)
    114安打 打率2割4分9厘 5本塁打 24打点 20盗塁(21二塁打 9三塁打 60得点 四球43 敬遠3 出塁率3割1分8厘 長打率3割6分7厘)
  • 1961年(阪神)
    94安打 打率2割2分8厘 5本塁打 22打点 18盗塁(13二塁打 5三塁打 44得点 四球39 敬遠1 出塁率2割9分8厘 長打率3割2分)
  • 1962年(阪神)
    126安打 打率2割6分1厘 3本塁打 22打点 22盗塁(25二塁打 2三塁打 52得点 四球27 敬遠2 出塁率3割1分1厘 長打率3割4分)
  • 1963年(阪神)
    109安打 打率2割6分2厘 4本塁打 31打点 10盗塁(25二塁打 4三塁打 50得点 四球39 敬遠4 出塁率3割3分 長打率3割7分)
  • 1964年(阪神)
    138安打 打率3割1分8厘 8本塁打 29打点 23盗塁(20二塁打 2三塁打 75得点 四球36 敬遠0 出塁率3割8分3厘 長打率4割2分9厘)
  • 1965年(阪神)
    103安打 打率2割6分5厘 4本塁打 12打点 20盗塁(14二塁打 0三塁打 48得点 四球25 敬遠1 出塁率3割1分7厘 長打率3割3分2厘)
  • 1966年(阪神)
    88安打 打率2割6分3厘 2本塁打 20打点 10盗塁(10二塁打 3三塁打 39得点 四球23 敬遠1 出塁率3割2分2厘 長打率3割2分8厘)
  • 1967年(阪神)
    82安打 打率2割3分4厘 2本塁打 22打点 6盗塁(7二塁打 2三塁打 29得点 四球13 敬遠1 出塁率2割6分6厘 長打率2割8分2厘)
  • 1968年(阪神)
    73安打 打率2割3分 2本塁打 21打点 3盗塁(13二塁打 2三塁打 36得点 四球20 敬遠1 出塁率2割8分3厘 長打率3割2厘)
  • 1969年(阪神)
    30安打 打率1割9分4厘 0本塁打 3打点 1盗塁(5二塁打 0三塁打 14得点 四球6 敬遠0 出塁率2割4分6厘 長打率2割2分6厘)

と、現役生活17年2007試合で(阪神タイガース)、通算1864安打 打率2割6分7厘 66本塁打 434打点 350盗塁(273二塁打 70三塁打 900得点 498四球 敬遠25 出塁率3割2分1厘 長打率3割5分5厘)の成績を残しています。

タイトルは盗塁王2回に最多安打1回

そんな吉田さんは、

  • 盗塁王2回(1954年、1956年)
  • 最多安打1回(1955年)※当時連盟表彰なし※1994年より表彰

などのタイトルを獲得しています。

野球殿堂競技者表彰、ベストナインほか受賞多数

また、吉田さんは、そのほかにも、

  • ベストナイン9回(1955-1960年、1962年、1964年、1965年)※遊撃手部門を9度受賞は歴代最多。6年連続は松井稼頭央に次ぐ歴代2位、セ・リーグ最長
  • 野球殿堂競技者表彰(1992年)
  • オールスターゲームMVP1回 (1956年 第2戦)
  • 日本シリーズ敢闘賞1回(1962年)
  • 日本シリーズ首位打者賞1回(1962年)
  • 正力松太郎賞1回(1985年)※監督として表彰
  • ナンバーMVP賞1回(1985年)

と、賞も多数受賞しています。

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背番号

ちなみに、吉田さんの背番号ですが、現役時代(1953~1969年)は、ずっと「23」で、1987年より阪神の永久欠番となっています。

(入団当初、空いていた背番号「23」を球団から言われるままにつけたそうです)

そして、第一期監督時代(1975~1977年)は、「1」をつけているのですが、これは、尊敬するニューヨーク・ヤンキースの監督・ビリー・マーチンさんと同じものをもらったそうで、どんな時も自己を貫くマーチンさんのスタイルに憧れ、自身もそのような監督になりたい、との思いを込めたのだそうです。

その後、第二期監督時代(1985~1987年)は「81」、第三期監督時代は「83」をつけているのですが、「83」は、過去の「1」「81」ではなく、「とがっていない丸い番号で」という意味で選んだそうで、8年間のフランス生活で丸くなり、(この時、63歳になり)奥さんからも「心が広くなった」と言われ、つけたのだそうです。

「吉田義男は現役引退後5年間毎年渡米してメジャーの野球を勉強していた!」に続く

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