阪神タイガースに入団して最初の春のキャンプで「内角高め」に弱点があることが各球団に知れ渡ると、オープン戦では、弱点の「内角高め」を攻められ、思うようなバッティングが出来なくなっていた、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、開幕戦の大洋ホエールズ戦で、9回に代打で出場するも、大洋のエース・平松政次投手の前に手が出ず、3球三振に倒れたといいます。

「田淵幸一の初ホームランはロッテバッテリーの温情によるものだった!」からの続き

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阪神・後藤監督には開幕スタメン起用を断念すると言われるも・・・

3月26日のロッテとのオープン戦では、ロッテバッテリーの温情で、60打席目にしてようやくプロ初ホームランを打つも、その後は音なしで、

シーズン開幕まで8日と迫った4月3日の中日とのオープン戦では、僚友・星野仙一さんとの対戦となるも、対戦した2打席は共に平凡な遊ゴロに打ち取られた田淵さんは、試合後、特打ちをさせられ、

後藤監督には、

あかんな。こんな状態じゃとても使えん。オープン戦が終わって甲子園に帰ったら、一からやり直す気持ちで鍛える。開幕に間に合うか?そんなことより、このままではせっかくの素質を無駄にしてしまうがな

と、言われたそうですが・・・

あっけらかんとして西鉄のエース池永正明からホームランを打っていた

当の本人の田淵さんはというと、あっけらかんとしていたそうで、4月5日には、西鉄とのオープン戦で、二回、エース池永正明投手の内角低めのシュートを左翼場外へ豪快に放り込むと、

ホームラン賞を楽しみにしていたら、たった千円なんですよ。勝負は開幕ですよ。本番になったらきっと打ってみせます!

と、ニッコリ笑い、相変わらず、明るく答えていたそうです。

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公式戦初打席は大洋ホエールズの平松政次の前に三球三振

そして、いよいよ、1969年4月12日、開幕戦の大洋ホエールズ戦を迎えると、やはり、田淵さんはスタメンに入ることは出来ず、0対1で迎えた9回1死、走者なしという場面で、エース・江夏豊さんの代打として登場するのですが・・・

(「江夏に代わりまして、バッター、田淵」と、場内アナウンスが流れると、田淵さんのホームランを期待する、スタンドの阪神ファンから、割れんばかりの大歓声が起こったそうです)

1歳年下の平松政次投手の速球にまったく手が出ず、ストレート3球、1度もバットを振らずに三振に倒れてしまったそうで、

田淵さんは、茫然自失でベンチに戻り、

初めて見る速さだ

と、ポツリつぶやいたのだそうです。

(江夏さんは、この時、阪神3年目で20歳にしてエースになっており、この日も、4安打12奪三振1失点と、味方野手の挟殺プレー失敗とポテンヒットによる1点に抑えていたのですが、阪神は大洋より多い8安打を放ちながらも無得点だったそうで、9回、好投の江夏さんに代打を出さざるを得なかったのだそうです)

「田淵幸一はルーキーで開幕2日目に2打席連続本塁打を放っていた!」に続く

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