1964年には、29勝9敗、防御率1.89と、最多勝、最優秀防御率、沢村賞を獲得する活躍で、阪神のリーグ優勝に大きく貢献すると、その後も5年連続で2桁勝利を続けるなど、安定した成績を残していた、ジーン・バッキー(gene bacque)さんですが、1968年9月18日の巨人戦で、王貞治選手へ、死球とあわや死球というボールを連発すると、これに激怒して襲いかかってきた、王選手の師匠・荒川博打撃コーチを殴り、右手親指を複雑骨折してしまいます。
「ジーン・バッキーは努力家で阪神ナインも親身になっていた!」からの続き
王貞治に死球と危険球を連発していた
バッキーさんは、1968年9月18日、ダブルヘッダー第2試合の巨人戦に先発すると、1回に1失点し、4回にも、4点を取られて、なおも二死二塁という場面で、迎えた王貞治選手に対し、1球目は王選手の顔面をかすめるブラッシュボール、続く2球目は、腰を「く」の字にして避けるほど、あわや死球かという厳しい球を投げたそうで、
(1回の第1打席でも王さんに死球を投げていたこともあり)これには、普段、温厚な王選手もさすがに怒り、バットを持ったままツカツカとマウンドまで詰め寄られ、
バッキーさん!
と、言われたそうです。
そこで、バッキーさんは、日本語で「ごめんなさい」と謝った後、日本語で「わざとじゃない」と説明しようとしたそうですが、何と言って言いかわからず、フランス語になってしまったそうです。
(バッキーさんはおじいさんがフランス人で幼少期からフランス語が堪能だったそうです)
バッキーさんが危険球を連発し、たまらずマウンドに上る王貞治さん。
巨人の荒川博打撃コーチが掴みかかってきて左太ももにスパイクでキックを見舞ってきた
それでも、王選手は納得してくれたようで、打席に戻りかけたそうですが・・・
その直後、三塁ベンチから、王選手の師匠格の荒川博打撃コーチと巨人の控え選手数人が血相を変えて飛び出し、バッキーさんに襲いかかってきたそうで、
(バッキーさんは、何がなんだか分からなかったそうです)
荒川打撃コーチは掴みかかってきて、左太ももあたりにスパイクでキックを見舞ってきたのだそうです。
(ズボンが裂けたそうです)
巨人の荒川博打撃コーチの頭にパンチを食らわせ右手親指の付け根を複雑骨折
これには、さすがに許せないと思ったバッキーさんは、利き腕(右)で荒川コーチの頭を殴りつけたそうですが・・・
このことが原因で、バッキーさんは右手親指を複雑骨折し、全治3ヶ月の重傷を負ってしまったのだそうです。
(ショートから慌てて駆けつけたという吉田義男選手によると、あっちの選手を止め、こっちの選手をなだめと、事態の収拾に力を尽くしていたそうですが、ふと気がつくと、バッキーさんは、巨人勢に包囲され、孤立無援の戦いを演じているように見えたそうです)
「ジーン・バッキーは乱闘事件後すぐに荒川博とは仲直りしていた!」に続く
荒川博打撃コーチにキックされるバッキーさん。