1988年シーズン終盤の10月、近鉄と首位争いをする中、工藤公康投手が登板拒否とも取れる発言をマスコミに向けて公然と発したことで、優勝を目前に控え、大きな騒動となるも、西武ナイン全員を集めて工藤投手に謝罪させ、事態の沈静化を図った、森祇晶(もり まさあき)さんは、その後も、工藤投手にはお咎(とが)めなしで先発で起用すると、工藤投手も見事、期待に応え、最終的には、3連覇(リーグ優勝&日本一)を達成します。

「森祇晶は工藤公康に登板拒否発言されるも丸く収めていた!」からの続き

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工藤公康は舌禍事件のあと自ら志願して中3日で登板し完投勝利していた

1988年は、シーズン終盤、近鉄と熾烈な首位争いをする中、残り10試合(10月7日から10月16日まで10連戦)を控えた10月6日、工藤公康投手が登板拒否とも取れる発言をマスコミに向けて公然と発するも、丸く収めた森さんは、10月7日、8日の近鉄との直接2連戦で、5対2、4対2と連勝し、再び首位を奪回すると、

10月9日の南海戦では、先発の工藤投手が175球を投げ切り、完封勝利するほか、10月11日まで5連勝を記録します。

(森さんは、工藤投手に処分を下さず、通常通り、先発で起用したそうで、工藤投手もそれに応えたのでした)

そして、10月12日の南海戦は8対9と惜敗するも、翌13日の日本ハム戦は、工藤投手自ら志願してプロ入り初の中3日で登板すると、見事、3対2で完投勝利します。

最終戦の阪急戦では秋山幸二が決勝ホームランを放ち勝利するも近鉄のマジックは3となっていた

その後、10月14日のロッテ戦は5対2で勝つも、10月15日の日本ハム戦は1対2で敗れると、近鉄のマジックは4に。

そんな中、シーズン最終戦となる10月16日の阪急戦は、1対1と同点で迎えた8回裏、秋山幸二選手が決勝ホームランを放ち、西武が2対1で勝利するのですが・・・

この日、近鉄も勝利し、近鉄のマジックは3となります(残り4試合)。

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1988年は全日程を終了し優勝は近鉄の勝敗次第だった

こうして、西武は、近鉄より先に全日程を終了し、優勝は近鉄の勝敗次第となっていたのですが、近鉄は10月17日の阪急戦に1対2で敗れ、残り3試合を全部勝たなければ(引き分けもダメ)優勝できない状況に追い込まれると、

10月18日のロッテ戦は12対2で勝利、10月19日のロッテとのダブルヘッダー(最終2試合)の第1試合も4対3で勝利も、第2試合は4対4の引き分けとなり、この瞬間、西武のリーグ優勝が決定したのでした。

そして、西武は、10月22日から始まった、星野仙一監督率いる中日ドラゴンズとの日本シリーズでも、4勝1敗で中日を制し、3年連続日本一を達成したのでした。

「森祇晶の西武監督4年目は0.5ゲーム差で優勝を逃していた!」に続く

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