監督就任1年目の1986年から3年連続で西武ライオンズをリーグ優勝&日本一に導くも、1989年、惜しくも0.5ゲーム差で優勝を逃した、森祇晶(もり まさあき)さんは、シーズン終了後、堤義明オーナーを訪ねると、堤オーナーからは、「監督やりたいんであればどうぞ」と冷たく言い放たれたといいます。
「森祇晶の西武監督4年目は0.5ゲーム差で優勝を逃していた!」からの続き
堤義明オーナーから来季について「監督やりたいんであればどうぞ」と言い放たれていた
1989年、西武ライオンズの監督4年目のシーズンを終えた森さんは、10月19日、東京・原宿の国土計画本社に、堤義明オーナーを訪問すると、同行したGMの根本陸夫さんと球団代表からは、
来季も森体制でいきたい
と、フロントの決定事項を伝えられたそうですが、
堤オーナーからは、近鉄と最後まで優勝を争ったことへのねぎらいはなかったそうで、それどころか、その後、堤オーナーは、記者会見で、
どうすかね、んはははは。気まずい思いだね。かはははは。監督やりたいんであればどうぞ。また、頑張ってやってください。
まぁ11ゲーム離されて追いついたというよりも、私は11ゲーム離された方がおかしいと思いますね。どちらかといえばね。結局3位だろ。
一番盛り上げた、やっぱり西武を、今年勝てなかったということは、パリーグが盛り上がったからで、まぁ私としては不満だけど、連盟サイドとしてはよかったんじゃないですかね。
と、語っています。
師と仰ぐ川上哲治に諭され監督続投を決意していた
この言葉には、さすがに森さんもショックを受け、師と仰いでいた川上哲治さんに監督続投について相談したそうですが、
川上さんには、
監督は誰でもやれる仕事ではない。チャンスがあるのなら続けたほうがいい。
と、諭されたそうで、
結局、監督続投を決意したのだそうです。
堤義明オーナーの「監督やりたいんであればどうぞ」は西武ナインには起爆剤となっていた
ちなみに、テレビカメラも回っていた席での堤オーナーのこの発言は物議を醸したのですが、
(「冷徹な経営者」というイメージが定着したそうです)
西武ナインには、これが起爆剤となったそうで、
辻発彦さんは、
僕らも頭にきてね。『監督、絶対やめないでくださいよ』って言ったんです。『来年、日本一になって見返しましょうよ!』って。そして翌年、言葉通り日本一になった。
よく選手が“監督を胴上げしたい”って口にするでしょ?そういう気持ちが選手の中から自主的に出るチームは強くなっていく。僕らも森監督からその思いにさせてもらいました
と、語っています。
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