1989年のシーズン後、西武の堤義明オーナーに、「監督やりたいんであればどうぞ」と冷たく言い放たれ、ショックを受けるも、師匠と仰ぐ川上哲治さんから諭され、監督続投を決意したという、森祇晶(もり まさあき)さんは、翌1990年は、チームの弱点である「抑え不在」の課題も解消し、2年ぶりにリーグ優勝を果たすと、巨人との日本シリーズでも、4勝0敗で巨人を圧倒し、日本一となります。
「森祇晶は堤義明に「監督やりたいんであればどうぞ」と言われていた!」からの続き
1990年は開幕戦から5連勝する順調なスタートを切っていた
1990年、森さんは、チームの弱点である「抑え不在」の課題を解消するため、リリーフ陣を補強するべく、巨人の鹿取義隆投手を西岡良洋選手との交換トレードで獲得し、新人の潮崎哲也投手とのダブルストッパーで臨むと、
(潮崎投手は中継ぎと抑えの両方で起用)
開幕戦で清原和博選手がいきなり2打席連続ホームランを放って快勝したことを皮切りに5連勝し、4月は11勝4敗、5月は17勝6敗1分けと、快調なスタートを切り、貯金19で首位を独走します。
1990年は2位に大差をつけてリーグ優勝
そして、6月に入ると、8連敗を喫し、2位のオリックスに0.5ゲーム差まで追い上げられるも、そこから9連勝し、逆にオリックスを6.5ゲーム差に突き放すと、7月、8月には貯金18と再び独走。
その後、9月は2試合連続サヨナラ負けを喫するなど7勝12敗1分でもたつくも、最終的には、オリックス、近鉄、日本ハムといったライバルチームを寄せ付けず、(巨人の優勝決定2週間後の)9月23日の日本ハム戦で、2位に大差をつけ、2年ぶりにリーグ優勝を決めたのでした。
鹿取義隆投手のコメント
ちなみに、この年、西武は、鹿取投手が、37試合に登板し、3勝1敗24セーブで最多セーブと最優秀救援投手を受賞し、西武のリーグ優勝に大きく貢献しているのですが、
鹿取投手は、
(前年の1989年は)優勝を逃した近鉄との直接対決。郭泰源のリリーフに先発要員の渡辺久信を起用してたからね。誰の目にも抑え不在は明らかだった。
だから、森さんがオーナーにも文句を言われないチームをつくろうとしたとき、僕が候補のひとりになったんだろうなと推測しました
と、語っています。
(潮崎投手も43試合登板で7勝4敗8セーブ、防御率1.84の成績を残し、鹿取投手とともに西武のリーグ優勝に大きく貢献しました)
1990年の巨人との日本シリーズは4勝0敗で圧勝していた
また、森西武は、巨人との日本シリーズ(1983年と1987年に続き3回目)でも、4連勝と巨人を圧倒して、2年ぶりに日本一となっており、
巨人の藤田元司監督は、後に、著書「藤田前監督 巨人軍を語る」で、
(相撲に例えれば)立ち上がったら、そのまま突き飛ばされて土俵の外に出ていた
ただあれよあれよという間に負けてしまった
と、綴り、
この年、敢闘賞を受賞した岡崎郁選手も、
野球観が変わるほどのショックを受けた
と、語っています。
(森さんは自軍の投手陣と巨人の打者陣を比較検討し、「4点取れば勝てる」と考えていたそうですが、結果は森さんの予想をはるかに上回り、走攻守すべての面で巨人を圧倒し、第1戦から第4戦まで、全て4点差以上をつけての圧勝でした)
「森祇晶の西武監督就任6年目は広島に逆転勝利で日本一になっていた!」に続く