1994年には、西武ライオンズでパ・リーグ史上初の5年連続リーグ優勝を達成した、森祇晶(もり まさあき)さんですが、日本シリーズで長嶋茂雄監督率いる巨人に敗れると、11月1日、監督を辞任しています。実は、森さんは、かねてからフロントの態度に不満&不信感を募らせていたといいます。
「森祇晶は秋山幸二を放出し佐々木誠を獲得していた!」からの続き
西武ライオンズの監督を辞任
1993年オフには、日本一奪還を目指し、主力選手の秋山幸二選手を放出して佐々木誠選手を獲得した森さんですが、1994年の長嶋茂雄監督率いる巨人との日本シリーズも、10月29日、2勝4敗で敗退すると、11月1日、監督を辞任しています。
翌年のドラフトや外国人情報をもらえず、優勝を決めた日も祝福もせずに帰ったフロントの態度に不信感を抱いていた
というのも、この年、例年なら来るはずの、翌年のドラフト、外国人選手の情報が、夏場になっても、森さんの元に降りて来なかったそうで、森さんは、このフロントの態度に不満を抱いていたそうですが、
さらには、10月2日、森さんが近鉄戦で勝利し、パ・リーグ史上初の5年連続優勝を達成したときも、フロントは祝福もせずに帰ってしまったそうで、
さすがに、森さんは、日本シリーズ開幕前に、1994年をもって退任することをコーチ達に告げていたのだそうです。
西武のフロントは観客動員数が伸びない原因を森祇晶の野球が「つまらない野球」だからだと判断していた
それにしても、西武球団は、なぜ、西武ライオンズの黄金時代(通算9年で、リーグ優勝8回、日本一6回)を築いた森さんを退任に追い込むような形をとったのでしょうか。
実は、この頃、西武ライオンズは観客動員が低迷していたそうで、フロントは、この原因を、森さんが「つまらない野球」をしているからだと判断していたというのです。
実際、森さんは、監督の最大の仕事は、チームを勝利に導くことで、面白い野球をすることでもなければ、過剰なファンサービスをすることでもないと考えており、「勝利こそが最大のファンサービス」だと公言してはばからなかったそうで、その「安全・確実・堅実」な野球は、面白味のない野球とみなされたのだそうです。
(森さんは、チームプレーと確率を重んじるほか、ディフェンスを主体として、走塁やバントを多用するなど、基礎を積み重ねた緻密な野球が持ち味でした)
「森祇晶は監督辞任を発表前に西武球団にリークされていた?」に続く