小学6年生の時、父・二代目松本白鸚さん主演のミュージカル「ラ・マンチャの男」を観て、女優の道に進もうと決めると、1993年、16歳の時には、「人情噺文七元結」のお久役で初舞台を踏み、翌1994年には、NHK大河ドラマ「花の乱」で、少女時代の日野富子役でテレビドラマデビューを果たした、松たか子(まつ たかこ)さんは、その後も、順調に女優としてのキャリアを積んでいきます。

「松たか子の家系図は?本名は?芸名の由来は?」からの続き

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NHK大河ドラマ「花の乱」に出演するため白百合学園から堀越学園に転校していた

祖母の看病で疲れ切っていた父・二代目松本白鸚さんの舞台「ラ・マンチャ」での姿が、ボロボロになっても夢を追い続ける本物のドン・キホーテに見え、また、そんなドン・キホーテの物語を描いたセルバンテスにも見えたことで、自分も芝居の道に進むのではと感じたという松さんは、

中学卒業直後の1993年春、NHK大河ドラマ「花の乱」(市川森一さん脚本)の出演オファーがあった際、「やりたい」と即答したそうで、このドラマに出演(1994年4~5月)したことをきっかけに、本格的に女優の道に進んだそうです。

(お父さんの白鸚さんは、「黄金の日日」と「山河燃ゆ」、二つのNHK大河ドラマで主演を務めているのですが、このことをきっかけに、脚本を担当していた市川森一さんと白鸚さん一家は長い付き合いがあったのだそうです)


「花の乱」より。松さんと三田佳子さん。

ちなみに、松さんは、幼稚園から高校1年の一学期まで白百合学園に通っていたそうですが、芸能活動が禁止されていたため、チャンスを逃したくないと、2学期から堀越高校に転校したのだそうです。

テレビドラマ「蔵」の田乃内烈役を射止めるために断食までしていた

そんな松さんは、1995年には、大正・昭和初期、越後の銘酒「冬麗」の蔵元・田乃内家を舞台に、跡取り娘で、盲目の美少女・烈を中心に苛酷な運命を生きる家族の愛憎と絆を描いた、宮尾登美子さんの同名小説を原作とする、テレビドラマ「蔵」で、盲目の少女・田乃内烈を演じているのですが、

実は、演出の大山勝美さんは、松さんの起用について、

(ふみ)さんの佐穂(烈の育ての親)はすぐ決めた。家を守り周囲と協調しながら、つつましく生きる。地方の女性の典型にドンピシャ。でも松さんは迷った。盲目で激しく生きる烈には合わない。良家のお嬢さん過ぎる。(烈は)もっとシャープでギラギラしていないと・・・

と、明かしており、

そんな中、原作を読み、どうしても烈がやりたかった松さんは、(ギラギラした感じを出すため)断食までして決意を示したそうで、その熱意を買われて、見事、烈役を射止めたのだそうです。


テレビドラマ「蔵」より。

木村拓哉との共演「ロングバケーション」「ラブジェネレーション」「HERO」で一躍注目を集める

そして、1996年、19歳の時には、テレビドラマ「ロングバケーション」、1997年には、「ラブジェネレーション」、2001年には、「HERO」と、フジテレビ系列の月9ドラマに出演すると、いずれも木村拓哉さんとの共演で、視聴率30%前後を記録する大ヒットとなり、松さんも一躍、注目を集めたのでした。


「ラブジェネレーション」より。松さんと木村拓哉さん。

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「ロングバケーション」への出演は親の勧めによるものだった

ちなみに、松さんは、「ロングバケーション」に出演したのは、

ある意味、選択した状況に思いがけず流されはじめたことで、環境が変わっていったところがあったと思います。最初は、舞台でちゃんと立てる人になりたいなぁと思ってお芝居を始めたのですが、18歳のとき、映像をやるか、舞台をやるかを選択する局面があったんです。

私は、初めて連続ドラマに出たのが「ロングバケーション」というドラマだったのですが、そのときにちょうど舞台のチャンスもあって、私は当然舞台をやるつもりでいたんですね。けれどなぜか・・・父が言ったか、母が言ったのか定かに覚えていないのですが、「(ドラマは)今だけのチャンスかもしれない」みたいなことを親に言われたんです。

で、「ああ、そうなの?」と思って、テレビの流儀も知らないまま、「まぁでも、お芝居をする場所かぁ」ぐらいの感覚で出させていただいて。当時の私は、“月9”の読み方すら知らず、「げっく?」なんて言っていたし(笑)、実際、ドラマの現場は舞台以上に未知の世界でした。

と、自分の当初の意思とは違ったことを明かしているのですが、

今となっては、良かったと思っているそうで、

でも、その現場でいろいろ教えていただけたのは、ホントに恵まれていたなと思うんです。もしあのとき、タイミングが違ったら、また別の進み方をしたかもしれないし、出会った人も変わってきたかもしれない。今となっては、ああ、それでよかったのかなと思えるポイントですね。

と、語っています。

「松たか子は若い頃「明日、春が来たら」で歌手デビューしていた!」に続く

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