幼い頃から、お芝居(歌舞伎)が大好きで歌舞伎役者に憧れていたという、十代目松本幸四郎(じゅうだいめ まつもと こうしろう)さんですが、初めてのお芝居は、1978年、5歳の時、父・二代目松本白鸚さん主演のNHK大河ドラマ「黄金の日日」だったといいます。

「松本幸四郎(10代目)は少年時代は「1人プロ野球」なるものを楽しんでいた!」からの続き

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父・二代目松本白鸚主演のNHK大河ドラマ「黄金の日日」で俳優デビュー

幸四郎さんは、1978年10月、5歳の時、父・二代目松本白鸚さん主演のNHK大河ドラマ「黄金の日日」で俳優デビューすると、

(それまで、ずっと歌舞伎を見ていたことから、舞台も客席もない場所で演技をすることが不思議だったそうです)

1979年、6歳の時には、三代目松本金太郎として、「侠客春雨傘(きょうかくはるさめがさ)」で初舞台を踏み、


「侠客春雨傘」より。当時、3代目松本金太郎だった幸四郎さん(左)と8代目松本幸四郎だった祖父の初代松本白鸚さん(右)。

1981年10月、18歳の時には、「仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)」で、7段目の「大星力弥」などの役で七代目市川染五郎を襲名しています。


「仮名手本忠臣蔵 七段目」より。当時、7代目市川染五郎に襲名した幸四郎さん(手前)と初代松本白鸚さん(奥)。

「連獅子」「ハムレット」には史上最年少で出演

また、幸四郎さんは、小学6年生の時には、「連獅子(れんじし)」、14歳の時には、シェークスピア劇「ハムレット」に、どちらも史上最年少で出演しているのですが、

それは、お父さんの教育方針で、これができたから次はこれ、と徐々に与えていく方法ではなく、大きなものにいきなり飛び込ませて、グンと伸びるように仕向けられていたそうで、その時にはできなくても、経験をさせることでいつか気づくだろうと考えてのことだったのでは、と思っているそうです。

(今から思うと、チャンスをもらっただけの話だと思うものの、当時の幸四郎さんは、「14歳でシェイクスピアができたんだ!」と、えらくなったような気がしたそうです)

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自由に自然に芝居する「ハムレット」に当初は苦しんでいた

ちなみに、幸四郎さんは、様々なインタビューで、

長い毛を何度も振る連獅子は、本当はもう少し体が成長してからでないと危ない。ハムレットも膨大なセリフのある、とても難しい役です。でも、どうなるかわからないものに僕を放り込んで挑戦させるというのが父の方針だったようです。

1987年のハムレットの稽古は、夏休みに演出家とマンツーマンで始めたのですが、『自由に、自然に芝居をしろ』と言われて、困ってしまった。幼い頃から僕が学んできた歌舞伎や日本舞踊は、先ずは先人たちの真似をきっちりやるものなのです。

『満天の星よ、大地よ』という有名なセリフが上手く言えなくて、『星ってどんなものだったっけ?』と夜空を見上げたこともありました。東京の星をじっくり見たのは、あの時が初めてでした。苦労しましたが、この経験のおかげで、今、様々な新しい歌舞伎で、役を演じる面白さを感じられるのだと思います

ハムレットの時に初めて、「役を演じる」という感覚を知ることができたんです。それまでは、歌舞伎で「教わったことをきっちりやる」ということしか経験していなかったので、「好きにやっていいよ」と言われて最初はかなり苦しみました。

「自然に見える形ってどんな形だろう」と行き詰まってしまうんです。歌舞伎でも、父から怒り、悲しみ、喜び、といったさまざまな感情に心を動かすように言われながら、それがなかなかできずに悩んでいた時期だったので、ハムレットで、しだいに“役になり切るおもしろさ”を感じられるようになったことは大きかったと思います。

などと、語っています。

「松本幸四郎(10代目)の出演舞台ドラマ映画を画像で!」に続く

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