中学生の時、テレビドラマ「3年B組金八先生」を見て女優に憧れ、高校生の時には、2年間で48ものオーディションを受けるも、どれも不合格だった中、高校3年生の時、ついに、アイドルグループ「チェキッ娘」のオーディションに合格した、熊切あさ美(くまきり あさみ)さんですが、「チェキッ娘」は、たった1年で解散してしまいます。ただ、「チェキッ娘」では、女性同士ならではの揉め事があり、活動は1年が限界だったといいます。

「熊切あさ美は高3の時「チェキッ娘」のオーディションに合格していた!」からの続き

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高校3年生の時に「チェキッ娘」でデビューするもわずか1年で解散していた

熊切さんは、1998年、高校3年生(18歳)の時、「チェキッ娘」の初代メンバーとして、田中里奈さん、下川みくにさん、矢作美樹さん、新井利佳さん、五十嵐恵さんとともにデビューすると、

1998~1999年には、バラエティ番組「DAIBAッテキ!!(だいばってき)」にレギュラー出演し、写真集も出版するほか、1998年12月9日には、ファーストシングル「抱きしめて」でアイドル歌手としてデビューするなど、精力的に活動。


「チェキッ娘」時代の熊切さん(右)。

また、1999年7月には、「チェキッ娘」の内部ユニットとして3人組の「METAMO」が結成されると、熊切さんは、メンバーの一人に選出され、「チェキッ娘」と並行して活動し、「チェキッ娘」では、最も人気を誇っていたのですが・・・

「チェキッ娘」は、グループ自体の人気がパッとせず、約1年の活動の末、1999年11月に解散となってしまいます。

「チェキッ娘」では女性同士ならではの揉め事があり、活動は1年が限界だった

ちなみに、「チェキッ娘」は、当初、半年の予定だったプロジェクトが、最終的に1年に伸びたそうですが、熊切さんいわく、1年が限界だったそうで、もし1年以上継続していたら、とても「チェキッ娘」で活動するのは無理だったといいます。

というのも、「チェキッ娘」は、最初は熊切さんを含め6人だったメンバーが、徐々に増えていき、最終的には20人となって、女の子同士で楽しかった反面、嫌な面が見えたりなど、女性同士ならではの揉め事がいろいろとあったそうで、

熊切さんは、

(メンバー同士は)毎日一緒。家族より一緒にいる時間が長かったから、もちろん喧嘩もした。(グループ内での争いは)当時は常に比べられてきた。

人数が多いところでやってきたから、解散した後も、どうしても同世代の子と仲良くできなかったですね。『(スタッフから言われた)人を見たらライバルと思え』が強く染みついていて・・・

と、語っています。

(「チェキッ娘」時代、スタッフからは、「前に出ないと消えちゃうよ」と常に言われていたのだそうです)

若い頃に同世代の人たちからの裏切りに遭っていた

また、熊切さんは、同世代の人たちと仲良くできなかったそうですが、その理由について、若い頃、一緒にご飯を食べに行き、「うん、うん」と、その人の愚痴を相槌(あいづち)を打ちながら聞いていると、

(熊切さんとしては話を聞いていただけだったそうですが)まるで、熊切さんが言ったかのようにされていたことがあったほか、同世代の人たちから数多くの裏切りに遭ったことを挙げています。

「チェキッ娘」時代には男性マネージャーと恋愛関係になったメンバーとケンカをしたらステージでの立ち位置がどんどん後ろに下げられていた

そして、「チェキッ娘」時代には、メンバーの一人と男性マネージャーが恋愛関係になったことがあったそうですが、そのメンバーとケンカでもしようものなら、ステージでの立ち位置がどんどん後ろに下げられたそうで、

それ以来、熊切さんは怖くなって、同世代のアイドルとは仲良くなれなくなったのだそうです。

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芸能人の友達はGENKINGと古閑美保だけ

ちなみに、グラビア会(グラビアで活動する人たちだけの集まり)などもあったそうですが、熊切さんは、「お互い椅子取りゲームをすることになるのに何をしゃべるんだろう」と、ライバル同士の集まりに違和感を感じ、参加しなかったそうで、

飲みに行ったり、遊びに行くのは、もっぱら、まったく違うジャンルの人たちや、年上の人たちだったそうで、現在も、芸能人の友達は、GENKINGさんと古閑美保さんしかいないそうです。

(そのため、何年も続いているアイドルグループを見ると、「すごいなぁ」と感心するそうです)

「熊切あさ美はチェキッ娘ユニットMETAMOの解散を自ら申し出ていた!」に続く

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