2005年9月6日の中日戦で、審判の判定を巡って激怒し、守備についていた選手を全員引き上げさせた、岡田彰布(おかだ あきのぶ)さんは、牧田俊洋球団社長の説得を受け入れ、18分後には試合を再開するのですが、クローザーの久保田智之投手は、土壇場で同点に追いつかれたうえ、一打サヨナラ負けのピンチに。すると、岡田さんは、監督就任以来初めてマウンドに上がり、「打たれろ!メチャクチャやったれ!!」と言ったといいます。
「岡田彰布は2005年審判の判定に抗議し選手全員を引き上げさせていた!」からの続き
牧田俊洋球団社長の説得を受け入れ18分後に試合を再開
2005年9月7日の中日戦では、3対1とリードして迎えた9回裏、判定を巡って抗議すると、止めに入った平田ヘッドコーチが退場処分になったことに激昂し、守備についていた選手全員をベンチに引き上げさせた岡田さんですが、
このまま試合を放棄すれば、没収試合とされてしまう(9-0で中日の勝利となるうえ、高額の制裁金や賠償金の支払い命令がなされる)ため、牧田俊洋球団社長の説得を受け入れ、18分後、試合はようやく再開されます。
(※没収試合が宣告された場合、記録上は原因となったチームを「0-9の敗戦」として扱うこととされています。ちなみに、試合途中に没収試合となった場合は原則として個人記録はそのまま残りますが、加害チームがリードしている状況で没収試合となった場合には、勝利投手・敗戦投手・セーブは一切記録されないそうです。また、日本プロ野球の場合、高額の制裁金や賠償金の支払い命令がなされるほか、独自に入場料の返還が行われる場合もあるそうです)
試合再開後は久保田智之投手が同点に追いつかれたうえ一打サヨナラ負けのピンチとなっていた
しかし、試合再開後の9回裏、クローザーの久保田智之投手は、井上一樹選手の犠飛で3対3の同点に追いつかれると、続く荒木雅博選手の中飛を赤星憲広選手がまさかの落球。
これは、ライトに入っていた中村豊選手がカバーし、サヨナラとなる走者の生還を防いだのですが、続く井端弘和選手を敬遠して1死満塁となり、一打サヨナラ負けのピンチとなります。
一打サヨナラ負けのピンチでは監督就任以来初めてマウンドに上がって久保田智之投手に「打たれろ!メチャクチャやったれ!!」と励ましていた
すると、ここで、岡田さんは、監督就任以来、初めてマウンドへ向かい、
(岡田さんは、「俺はチーム全体のことを考えている。マウンドにいくのは投手コーチの仕事だから」と考えていたそうで、それまでは、一度もマウンドに上がったことはありませんでした)
久保田投手に、
もう打たれろ! 打たれてもお前は悪ないからな。オレが責任持つからもうムチャクチャほったれ(投げたれ)!(「打たれてもいいから、思いっきり投げろ」という意味)
と、声をかけたそうで、
(この、一見、投げやりとも思える言葉には、たとえこの試合に負け、さらには優勝を逃したとしても全責任を自分が背負うという強い覚悟を込めていたそうです)
その熱い言葉に、久保田投手も本来の投球を取り戻し、渡邉博幸選手、タイロン・ウッズ選手を連続三振で抑えると、延長11回表には、阪神・中村豊選手がソロ本塁打を放ち、4対3で阪神が死闘を制したのでした。
監督就任以来初めてマウンドに上がって久保田投手に言葉をかける岡田監督。
(ちなみに、試合終了後、敵将・落合博満監督は、「きょうは監督の差で負けたよ」と、阪神ベンチの執念を称えています)
この試合を境に独走しぶっちぎりのリーグ優勝を果たしていた
こうして、もし負けていれば1ゲーム差に迫られる危機を脱した岡田阪神は、この後、6連勝して一気に独走体制に入ると、9月29日、甲子園球場での巨人戦で、2年ぶりとなるリーグ優勝を果たしたのでした。
(奇しくも9月29日は、岡田さんの亡きお父さんの誕生日だったそうです)
ちなみに、決勝本塁打を決めた中村豊さんは、後に、
岡田監督が九回にマウンドに行ったとき、『きょうは負けられない一戦なんだ』と思った。あれからベンチ内が『絶対に勝つんだ』という空気になった。あの試合を落としていたら、優勝はなかったでしょうね
と、語っています。
(最終的には、87勝54敗5分(勝率・617)で、2位の中日に10ゲーム差をつけてのぶっちぎりの優勝でした)
「岡田彰布は2007年に初の退場処分となるも誤審だった?」に続く