若松勉さんやラルフ・ブライアントさんなど、数々の選手を指導し、名打者に育て上げてきた、中西太(なかにし ふとし)さんは、高卒ドラフト2位でヤクルトに入団した岩村明憲選手も、ひと目見て素質を感じ、指導に乗り出したといいます。

「中西太はブライアントに「三振してもいい」と指導していた!」からの続き

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岩村明憲は高卒ながらモノが違っていた

当時、ヤクルトスワローズは、球団の方針で、高卒1年目は体力づくりのため、試合には出場させなかったそうですが、

二軍監督の八重樫幸雄さんは、新人自主トレの際、ドラフト2位で入団した岩村明憲選手を見て、「モノが違う」と感じ、球団社長に1年目から開幕から試合で使うと宣言したそうで、

岩村選手は、プロ1年目の1997年、一軍での出場はなかったものの、二軍では、打率3割1分6厘、10本塁打、38打点と、高卒ルーキーとしては上々の成績を残したそうです。

(八重樫さんによると、岩村選手は、トスバッティングでは、手首が柔らかく、バットのヘッドの使い方がうまかったほか、下半身は強く、足も速かったそうです)

岩村明憲をひと目見て素質を感じていた

ただ、そんな岩村選手も2年目は伸び悩んでいたそうで、そんな中、臨時コーチを務めていた中西さんが、選手たちを指導するため、いつものように、二軍のグランドを訪れると、

岩村さんを見てすぐに、

おっ、アイツはいいな

と、感じたそうで、

八重樫二軍監督に、

指導してもいいか?

と、聞くと、

八重樫監督は、

ぜひお願いします

と、言ったことから、指導を開始したといいます。

岩村明憲には技術だけでなく三原脩から受け継いだ信念も伝えていた

すると、中西さんの熱心な指導で、岩村選手はみるみる打撃の才能を開花させたそうですが、

中西さんは、岩村さんに、

お前が先輩になった時、若い奴を教えていけ。そうしたら、その言葉が自分に跳ね返ってくるからって。自分のバッティングを感覚だけじゃなくて、言葉で説明しようとする時に、自分でも『こうだったな』って復習することができるから、自分のためにもなる。だから、後輩たちをいっぱい教えてみろ

心の狭い奴は、自分の技術を後輩に教えて、もしその後輩が活躍したら、自分が試合に出られなくなっちゃうわけだから、教えないし、潰そうとするよね。だけど、後輩を教えることで、自分でも理解が深められれば、自分の成長にもつながる。

だから、俺は昔からそうやってる。でも、最初から言葉で説明するんじゃなくて、まずは自分の目で俺のバッティングを盗んでくれって思うね。とにかく自分で見て盗んで、見よう見まねでやってみて、それで分からないことがあったら聞けばいい。そこに向上心がなければ伸びない。最初から教えてもらうのは、3日坊主で終わっちゃうから

と、技術的なことだけではなく、指導者としての心構えも教えたほか、岩村さんのヘルメットの内側に、「何苦楚」(「人生は何ごとも苦しい時が自分の楚(いしずえ)を作るのだ」という意味)と、書き込んだそうで、

岩村さんも、以降、この言葉を胸に刻み、日本代表でのWBC連覇のほか、デビルレイズ(現・レイズ)でも、若手を引っ張るなどリーダーシップを発揮してリーグ優勝に貢献したのでした。

(「何苦楚」は、中西さんが現役時代、三原脩監督に伝授されたものだったそうです)

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門下生(教え子)多数

ちなみに、中西さんの門下生(教え子)は、岩村選手のほか、若松勉さん、八重樫幸雄さん、ラルフ・ブライアントさん、宮本慎也さん、青木宣親さん、杉村繁さん、ロベルト・ペタジーニさん、金村義明さん、デーブ大久保さん、新井宏昌さん、石井浩郎さん、大石大二郎さん、伊勢孝夫さん、掛布雅之さん、真弓明信さん、大島公一さん、田口壮さんほか多数いるのですが、

彼らも、次の世代に、中西さんのバッティング理論を伝えているといいます。

「中西太は日本ハム監督時代は選手たちに反発されていた!」に続く

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