2022年10月16日、大阪市内のホテルで行われた、阪神タイガース監督就任会見の際、「優勝」という言葉は封印し、「アレ」と言うことを宣言した、岡田彰布(おかだ あきのぶ)さんですが、実は、この「アレ」は、2010年、オリックス監督時代、オリックスが交流戦の優勝争いをしていた時に、選手が優勝できると浮つかない為に考案したのものだったといいます。
「岡田彰布の「アレ」は選手がその気になって浮つくのを防ぐ為だった!」からの続き
「アレ」は2010年オリックス監督時代から使っていた
岡田さんは、オリックス監督就任1年目の2010年には、まず、先発の平野佳寿投手をリリーフに転向させ、交流戦前には、(先発だった)岸田護投手もストッパーに転向させて、ブルペンを強化するほか、打線も当時22歳だったT―岡田選手を「4番」に据えると、交流戦の始まる5月頃から、投打がうまくかみ合い出し、見事、交流戦を16勝8敗で優勝しているのですが、
(ペナントレースの成績も、交流戦前には借金「6」だったものが、交流戦後には貯金「2」としています)
岡田さんは、交流戦中、
そら、貯金作らなアカンわ。交流戦でつまずくと悪なるし、その逆もあるからな
いらんこと(優勝)言うたらアカン
と、選手が浮つかなように、報道陣に「優勝」という言葉を封印させていました。
(そのため、記事に「優勝」という言葉が踊ることはなかったそうです)
取材陣のほか、母親も球団オーナーも「アレ」を使っていた
以降、岡田さんと報道陣はもちろんのこと、京セラドーム大阪に毎試合のように応援に訪れていた岡田さんのお母さん・サカヨさんも、
アレやろ?言うたらアカンから、私も言わんようにしてるんよ
と、語っていたほか、
激励に来た宮内義彦オーナーも
言いません。監督が言わないのに、私も言いません。『アレ』のことですよね? 言いませんよ
と、語っていました。
オリックスでは「アレ」が功を奏して劇的な交流戦優勝を果たしていた
そんな岡田オリックスは、交流戦の優勝がかかった、2010年6月2日の中日戦(交流戦)、8回表の時点で0対7とリードされ、敗色濃厚だったのですが、
なんと、8回裏に7対7に追いつくと、延長11回には4番のT―岡田選手が3ランホームランを放ち、劇的なサヨナラ勝ちで交流戦優勝を決めており、
岡田さんは、
この勝ちは大きいよ。最後まで諦めへんかったら、こういうことは起こるんよ
と、語っています。
(優勝を決めた後、オリックス球団は、左胸に「アレしてもうた」とのロゴがでかでかとプリントされた「交流戦優勝Tシャツ」を作成しているのですが、岡田さんは、「ホンマか?作ったんや?」と言って笑っています)
「岡田彰布の妻との馴れ初めは?4ヶ国語を操るマルチリンガル!」に続く
2010年交流戦を制し、優勝トロフィーを受け取る岡田監督。