1994年、巨人移籍1年目、シーズン中盤は不振にあえいだ、落合博満(おちあい ひろみつ)さんですが、シーズン最終盤の10月2日、中日に同率首位に並ばれる中でのヤクルト戦では決勝本塁打を放つほか、10月8日、中日との優勝決定戦では、先制ソロホームランと逆転タイムリーヒットを放つなど、チーム(巨人)の優勝に大きく貢献します。

「落合博満は1994.10.2珍しく本塁打してガッツポーズしていた!」からの続き

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巨人は129試合を終えた時点で中日と69勝60敗で同率首位だった

1994年10月7日、(130試合制の)129試合を終えた時点で、巨人と中日は69勝60敗と、同率首位の状態で、優勝は最終戦の直接対決に委ねられたのですが、

(レギュラーシーズンの)リーグ公式戦で、最終戦時の勝率が同率首位で並んだチーム同士が直接対決する優勝決定戦は、日本のプロ野球史において初めてでした。

落合博満のソロホームランなどで巨人が2対0とリードしていた

さておき、迎えた10月8日、優勝決定戦では、巨人は、初回表、中日先発の左腕・今中慎二投手に簡単に3人で打ち取られると、その裏、先発の槙原寛己投手は2本のヒットと1死球で一死1・2塁とされるも、無失点でピンチを切り抜けます。

すると、2回表には、4番の落合さんが、今中投手の真ん中低めの速球をライトスタンドに叩き込み、1点を先制。さらには、槇原選手の内野ゴロの間にもう1点を追加し、2対0と先制します。


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2対2の同点に追いつかれるも落合博満のタイムリーヒットで再び逆転

しかし、2回裏には、槙原投手が崩れて、2対2の同点に追いつかれ、さらには、その後、無死一、二塁とされます。

ただ、ここで、巨人・長嶋茂雄監督は、斎藤雅樹投手に交代してピンチを切り抜けると、3回表には、川相昌弘選手がヒット、松井秀喜選手が送りバントをして川相選手が二塁に進塁した場面で、落合さんがライト前にタイムリーヒットを放って1点を追加し、再び、3対2とリードします。

落合博満は守備時、左足の内転筋を痛め4回からベンチに退いていた

こうして、大活躍だった落合さんですが、3回裏、守備中、一塁ゴロを処理しようとした際、軟らかいグラウンドに足をとられ左足の内転筋を痛めてしまい、痛み止めを打って一度はグラウンドに戻ったものの、迷惑をかけると判断し、自ら申し出て、4回からはベンチに退きます。


一塁ゴロを処理しようとして軟らかいグラウンドに足をとられ左足の内転筋を痛めてしまった落合さん。

巨人が4年ぶりのリーグ優勝

それでも、巨人は、4回表には2点を追加して5対2とリードを広げ、5回表にも松井秀喜選手のホームランで1点を追加して6対2とすると、6回裏には中日に1点を返されるも(6対3)、

7回からマウンドに上がった桑田真澄投手が中日打線を9回まで無失点に抑え、6対3で中日を制し、見事、4年ぶりの優勝を果たしたのでした。

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長嶋監督と抱き合い涙を浮かべていた

ちなみに、長嶋監督の胴上げが行われた際、落合さんは参加できず、その後、ベンチから足を引きずって出てきて、長嶋監督と抱き合っているのですが、その目には涙が浮かんでいました。

というのも、落合さんは、巨人に入団する際、

長嶋監督を胴上げするために来た

と、語っており、それを実現した瞬間だったからです。

(その後、長嶋巨人は、日本シリーズもそのままの勢いで、パ・リーグ5連覇の西武ライオンズを4勝2敗で下し、日本一に輝いているのですが、落合さんは、左内転筋を傷めた影響で、日本シリーズでは第3試合に指名打者として出場したのみでした)

「落合博満は41歳4ヶ月で2000本安打を達成するも名球会は辞退していた!」に続く


長嶋茂雄監督と抱き合って喜ぶ落合さん。

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