1978年に巨人(読売ジャイアンツ)に入団すると、2年目の1980年には、最多勝(16勝)と最多奪三振(219奪三振)、3年目の1981年には、最多勝(20勝)と最優秀防御率(2.29)と最多奪三振(221奪三振)を獲得するなど、凄まじい活躍で、「怪物」と呼ばれた、江川卓(えがわ すぐる)さんですが、実は、江川さんのお父さんは、江川さんが幼い頃から将来は有名なプロ野球選手になると信じて疑わなかったといいます。

幼少期の江川卓

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

江川さんは、1955年5月25日生まれ、
福島県いわき市の出身(4歳から静岡県岩田郡佐久間町、中学2年から栃木県小山市)、

身長183センチ、
体重90キロ、

血液型はO型、

学歴は、
静岡県佐久間町立佐久間小学校
⇒佐久間町立佐久間中学校
⇒作新学院
⇒法政大学法学部第二部法律学科卒業

趣味は、競馬、旅行、

特技は、ワイン鑑定で、ソムリエ・ドヌール(名誉ソムリエ、日本ソムリエ協会認定)の資格を持っているそうです。

ちなみに、江川卓は本名です。

幼い頃は父親に旅先で写真をたくさん撮られたが・・・

江川さんは、鉱山技師の父・二美夫さんと母・美代子さんの間に、2人兄弟の長男として誕生すると、幼い頃は、お父さんに、年2回、家族旅行に連れて行ってもらい、旅先ではたくさんの写真を撮られたそうですが、

その写真のどれもが、気をつけをして直立不動、頭には帽子、足元は革靴という格好、おまけにしかめっ面だったそうです。

(江川さんは、お父さんからの命令で、(写真を撮る時には)歯を見せて笑うなと言われていたのだそうです)

父親は将来息子の江川卓がプロ野球のスター選手になると信じていた

ちなみに、お父さんは、旅先で江川さんの写真をたくさん撮った理由について、江川さんがプロ入りした後に、

オレはなあ、卓。お前がスターになったとき写真集を出そうと思ってなあ。将来 スターになる子が、どこにも旅行してないっていうのはまずいだろうよ

と、明かしていたそうで、

息子が将来、写真集も出版され、それがベストセラーになるくらい、有名なプロ野球選手になるはずだ、と本気で信じていたのだそうです。

(お父さんは、毎月、数万円のお給料から旅行資金として1万円積立していたそうですが、旅行のほかにも、新しい物が好きだったことから、家計を切り詰め、白黒テレビ、冷蔵庫などの電化製品を購入していたそうで、当時、住んでいたお風呂のない狭い社宅には、不釣り合いな高級電化製品が並んでいたそうです)

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父親は長男をプロ野球の選手にすることが夢だった

実は、江川さんのお父さんは、江川さんが誕生するずっと前から、「長男はプロ野球の選手にしたい」との夢を持っていたそうで、

(まだ、ON(王貞治さん、長嶋茂雄さん)が隆盛を迎える前のことだったそうで、お父さんには先見の明があったようです)

床入りする前に、奥さんと2人並んで神棚に手を合わせ、

野球選手になるような、尻が大きくて体のでかい子を授かりますように

と、祈ったそうで、

それから、ぴったり十月十日(とつきとおか)後の1955年5月25日に、待望の男の子(江川さん)が誕生したのだそうです。

(結婚した時、お父さんは27歳、お母さんは23歳だったそうですが、お父さんは、「あまり若い時に子供をつくると、親に貫禄がなさすぎる感じになる」と考え、しばらく子供を作らず、いよいよ親になる機が熟したと判断してから、子作りをしたそうです)

ちなみに、お父さんは、次男は医者に、もし三男が誕生すれば株屋にする、というのが夢だったそうです。

「江川卓の幼い頃は臆病で泣き虫な少年だった!」に続く

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