「空白の一日」を利用して、1978年11月21日に巨人と入団契約を交わすも、プロ野球実行委員会にすぐには了承されず、巨人との契約について討議されることになった、江川卓(えがわ すぐる)さんは、案の定、ほかの11球団から総攻撃を受けて受け入れられず、コミッショナーには、巨人との契約(選手登録)を無効とする裁定を下されてしまいます。しかし、巨人は、これに猛反発し、11月22日のドラフト会議をボイコットするほか、リーグ脱退と新球団結成をほのめかす発言をし、大騒動に発展します。

会見を行う正力亨オーナーと江川卓

「江川卓は巨人入団をプロ野球実行委員会で討議されていた!」からの続き

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江川卓と巨人の契約がプロ野球実行委員会で討議されると巨人は他の11球団から総攻撃を受けていた

1978年11月21日、東京・九段下のホテルグランドパレスで、プロ野球実行委員会により、「空白の一日」を利用した江川さんと巨人の契約が討議されると、巨人の長谷川球団代表が契約の正当性を主張するも、このような契約がすんなりと受け入れられるはずもなく、

他の11球団からは、「空白の一日」は、手続き上は問題なくとも、「野球協約の精神に反する」「法の盲点を狙うのはスポーツマンシップに反するだけでなく、球界の秩序を乱す」と総攻撃を受けたそうで、議論は5時間近くに及んだといいます。

江川卓と巨人の契約(選手登録)はセ・リーグ会長の鈴木龍二により無効とする裁定が下されていた

そして、同日(11月21日)、午後6時20分、セ・リーグ会長の鈴木龍二氏、パ・リーグ会長の工藤信一良氏、コミッショナー事務局長の井原敦氏、巨人の長谷川球団代表により、記者会見が行われると、

鈴木会長は、プロ野球実行委員会で討議した結果、巨人と江川さんの契約(選手登録)を無効とする裁定を下したことを発表したのでした。

(ちなみに、会見中、巨人の長谷川球団代表は抗議の発言を繰り返しています)

巨人は江川卓との契約無効を不服とし11月22日のドラフト会議をボイコットしていた

これに対し、巨人の長谷川球団代表は、球団事務所に帰るやいなや、押し掛ける記者連に対し、

こうなったら脱退だ。中央突破あるのみ、全面戦争だ!

と、言い放つと、

その後、巨人は、午後8時45分、東京・大手町の読売新聞内の球団事務所で記者会見を開くと、正力亨オーナーが、

巨人軍は重大な決意のもと、明日22日のドラフト会議には出席しない。
そして、明日、リーグ会長とコミッショナーに異議申し立てを行う。

と、発表し、

1978年11月22日のドラフト会議は、巨人を除く11球団で行われるという異常事態となったのでした。

そして、(もともと、他球団は江川さんを指名する意思はなかったとされているのですが)巨人の抜け駆け契約に抗議する形で、南海ホークス、阪神タイガース、ロッテオリオンズ、近鉄バファローズの4球団が江川さんを1位指名すると、この年から採用された「複数球団による重複指名があった場合は抽選」の方式によって、抽選の結果、阪神が江川さんとの交渉権を引き当てたのでした。


1978年のドラフト会議より。巨人(読売ジャイアンツ)の席は空席。

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江川卓は金子鋭コミッショナーに巨人入団契約を認められていなかった

その後、午後3時過ぎ、巨人の正力オーナーが緊急会見を行い、今ドラフトの「無効」を金子コミッショナーへ提訴し、その結果次第で「さらなる方法を考える」と語ると、

(「さらなる方法」とは、リーグ脱退と新リーグの結成だったと言われています)

巨人は、あくまで江川さんとの契約の正当性を主張し、「野球協約ではドラフト会議は全球団の出席を不可欠の要因としており、今回のドラフトは効力が発生せずドラフト会議は無効(つまり、阪神に江川さんの交渉権獲得はないという意味)」と日本野球機構コミッショナーの金子鋭氏に提訴するのですが、

金子コミッショナーは、12月21日、「ドラフト会議欠席は巨人側が勝手に行ったこと」とし、ドラフト会議の結果はそのまま有効にし、そのうえで「江川さんと巨人による入団契約は認めない」ことと「阪神の江川さんに対する交渉権獲得を認める」ことを正式に決定したのでした。

(とはいえ、阪神は江川さんと直接会うことができず、入団交渉は暗礁(あんしょう)に乗り上げたそうです)

「江川卓は阪神入団直後に小林繁とのトレードで巨人入りしていた!」に続く

会見を行う正力亨オーナーと江川卓
1978年11月21日。巨人入団会見を行う力亨オーナー(左)と江川さん(右)。

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