近年で一番調子が良く、完璧だと思って投げた勝負球(ストレート)を、広島の小早川毅彦選手に逆転サヨナラ2ランホームランされ、このことがきっかけで引退を決意したという、江川卓(えがわ すぐる)さんですが、実は、前年の1986年のキャンプの時には、若手に30mダッシュで負けて引退を意識し始めると、だましだましでやり過ごしていた右肩痛も限界に達しかけていたといいます。

現役時代の江川卓

「江川卓は小早川毅彦に渾身の1球をホームランされ号泣していた!」からの続き

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1986年のグアム・キャンプでは初めて30メートルダッシュで若手に負け、引退を考えるようになっていた

1987年、小早川毅彦選手に逆転サヨナラ2ランホームラン(しかも2打席連続ホームラン)を打たれたことをきっかけに引退を決意したという江川さんですが、

実は、前年1986年のグアム・キャンプの時、初めて、恒例の30メートルダッシュで若手に負けたそうで、このことにショックを受け、引退を考えるようになっていたといいます。

中日の田尾安志が心配して「酒マッサージ」の先生を紹介してくれた

ただ、1987年に完成する東京ドームで投げたい、もしかすると速球が戻るかもしれないなど、一度決めた引退への気持ちが揺れ動いてもいたそうで、

そんな中、中日の田尾安志選手がわざわざ連絡をくれ、高名な「酒マッサージ」(日本酒を患部に塗ってマッサージするという特殊な治療)の先生を紹介してくれたのだそうです。

(江川さんが、敵である自分になぜそこまでしてくれるのかと田尾さんに聞くと、田尾さんは、「つまらないからだよ。本来の調子が出ていない君と対戦しても、つまらないじゃないか」と笑って答えたそうで、江川さんは涙が出るほどうれしかったそうです)

「酒マッサージ」の先生には一時的には痛みが消えても、決して元に戻ることはないと言われていた

こうして、江川さんは、その「酒マッサージ」の先生に診てもらったそうですが・・・

先生には、「一時は痛みが消えるとしても、患部は深く、決して元に戻ることはない」と言われてしまったのだそうです。

しかも、その先生は九州在住で、痛みがひどくなった時にすぐに診てもらうのは不可能だったそうです。

(その時は、先生がたまたま名古屋に来ていたため、診てもらうことができたのだそうです)

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中国鍼を打つもやがては鍼を打たなければマウンドに上がることができない状態にまで悪化していた

そんな中、江川さんは、ふと、中国鍼(はり)を思い出したそうで、この治療なら東京でも可能なため、最後はこれに賭けてみようと思い、鍼を施術してもらったそうですが・・・

(大学時代に中国に行った時、中国人の先生に鍼を打ってもらい、痛めていた肘が一発で治ったことがあったのだそうです)

一時的には回復するも、やがて、鍼を打たなければマウンドに上がることができない状態に悪化したそうで、鍼を打つ間隔も、当初は2週間だったのが、1週間、3日と、だんだん短くなっていき、さらには、鍼を打つ本数もどんどん増えていったそうで、限界が迫っていることをひしひしと感じていたのだそうです。

そんな時、渾身の一球を広島の小早川選手にホームランされ、引退を決意したのだそうです。

(100球近く投げると、指先がしびれて感覚がなくなっていき、軟投すら難しかったそうです。また、投げた後は腕をねじ上げられるような痛みが肩に走ったそうで、登板した夜は痛みで眠れないほどだったそうです)

「江川卓の現役時代の成績が凄すぎる!年俸推移は?」に続く

現役時代の江川卓

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