最多勝2回、最優秀防御率1回、最多奪三振3回、シーズン10無四死球試合など、素晴らしい活躍で、日本中のプロ野球ファンを楽しませた、江川卓(えがわ すぐる)さん。今回は、そんな江川さんの凄すぎる成績をご紹介します。
「江川卓は右肩痛の悪化で引退を考えるようになっていた!」からの続き
江川卓の現役時代(プロ野球選手)の投手成績
それではここで、江川さんの現役時代の投手成績をご紹介しましょう。
- 1979年(読売ジャイアンツ)
9勝10敗 138奪三振 防御率2.80(登板27 完投7 完封2 無四球1 投球回161.0 勝率4割7分4厘) - 1980年(読売ジャイアンツ)
16勝12敗 219奪三振 防御率2.48(登板34 完投18 完封5 無四球2 投球回261.1 勝率5割7分1厘)で、最多勝利・最多奪三振(最多完封) - 1981年(読売ジャイアンツ)
20勝6敗 221奪三振 防御率2.29(登板31 完投20 完封7 無四球3 投球回240.1 勝率7割6分9厘)で、最多勝利・最多奪三振・最優秀防御率(最多完投・最多完封・最高勝率) - 1982年(読売ジャイアンツ)
19勝12敗 196奪三振 防御率2.36(登板31 完投24 完封6 無四球10 投球回263.1 勝率6割1分3厘)で、最多奪三振(最多完投・最多完封・最多無四球) - 1983年(読売ジャイアンツ)
16勝9敗3セーブ 131奪三振 防御率3.27(登板33 完投10 完封2 無四球2 投球回217.2 勝率6割4分) - 1984年(読売ジャイアンツ)
15勝5敗 112奪三振 防御率3.48(登板28 完投13 完封3 無四球2 投球回186.0 勝率7割5分)で、(最多完封・最高勝率) - 1985年(読売ジャイアンツ)
11勝7敗 117奪三振 防御率5.28(登板30 完投3 完封1 無四球0 投球回167.0 勝率6割1分1厘) - 1986年(読売ジャイアンツ)
16勝6敗 119奪三振 防御率2.69(登板26 完投8 完封1 無四球2 投球回194.0 勝率7割2分7厘) - 1987年(読売ジャイアンツ)
13勝5敗 113奪三振 防御率3.51(登板26 完投7 完封0 無四球1 投球回166.2 勝率7割2分2厘)
と、たった通算9年(読売ジャイアンツ)で、266登板 135勝72敗3セーブ 1366奪三振 防御率3.02(完投110 完封27 無四球23)と凄すぎる成績を残しています。
江川卓は最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率などタイトル多数
そんな江川さんは、
- 最多勝利2回(1980年、1981年)※2年連続はセ・リーグ最長タイ記録(他は金田正一、権藤博、村山実、平松政次、遠藤一彦、斎藤雅樹、山本昌、セス・グライシンガー、内海哲也、菅野智之、青柳晃洋)
- 最優秀防御率1回(1981年)
- 最多奪三振3回(1980年、1981年、1982年)※当時連盟表彰なし、3年連続は江夏豊に次ぐセ・リーグ2位タイ
- 最高勝率2回(1981年、1984年)※当時連盟表彰なし、セ・リーグ5位タイ
と、タイトルも数多く獲得しています。
江川卓は投手5冠、シーズン10無四死球試合ほか記録多数
また、そのほかにも、
- 投手3冠1回(1981年)※史上13人目
- 投手4冠1回(1981年)※史上8人目、昭和最後
- 投手5冠1回(1981年)※史上6人目、2021年現在セ・リーグ最後の達成者
- シーズン10無四死球試合(1982年)※セ・リーグ記録
- オールスターゲーム出場8回(ファン投票選出 1982年、1985年/監督推薦 1980年、1981年、1983年、1984年、1986年、1987年)
と、凄まじい記録を残しています。
江川卓はMVP、最優秀投手賞、ベストナインほか表彰も多数
そして、
- 最優秀選手(MVP)1回(1981年)
- ベストナイン2回(1980年、1981年)
- 月間MVP2回(1981年7月、1981年8月)
- 最優秀投手2回(1980年、1981年)※2013より「勝率第一位投手賞」(13勝以上の勝率1位)と改称
- 日本シリーズ優秀選手賞1回(1981年)
- オールスターゲームMVP1回(1984年第3戦)
- 後楽園MVP賞1回(1980年)
- ジュニアオールスターゲーム最優秀投手賞1回(1979年)
- 報知プロスポーツ大賞1回(1981年)
と、数々の賞も受賞しています。
江川卓の年俸推移
これだけの成績を残した江川さんですが、
現在の選手と比べると、年俸は低すぎると言わざるを得ません。
- 1980年 840万円
- 1981年 1500万円
- 1982年 2800万円
- 1983年 4440万円
- 1984年 4440万円
- 1985年 4800万円
- 1986年 4300万円
- 1987年 6100万円
江川卓の背番号30の理由
そんな江川さんの背番号ですが、
- 3(阪神タイガース 1979年)
- 30(読売ジャイアンツ 1979-1987年)
と、形式的に阪神に入団した際は、「3」でしたが、その後、巨人に移籍してからは、ずっと「30」です。
ちなみに、阪神での背番号「3」は、たまたま阪神の3番が空いていたからだそうです。
また、巨人時代の「30」ですが、もともとは、小林繁さんの背番号「19」を受け継ぐことになっていたそうですが、巨人球団が、「19」では、どうしても小林さんの面影が残ると判断し、「19」は新外国人のリック・クルーガー投手につけさせることにしたそうで、
(江川さんが、さすがに小林繁さんがつけていた背番号なのでと、拒否したという話も)
江川さんには、江川さんが好きな数字である「14」と「16」のいずれかを背番号にと考えたそうですが、「14」は沢村栄治投手、「16」は川上哲治選手の永久欠番だったことから、両方とも使えなかったそうです。
そこで、巨人球団は二宮至選手が付けていた「27」と「30」を用意すると、江川さんは、自身が昭和30年生まれであることから、「30」を選んだのだそうです。
(ただ、巨人球団としては、西本聖投手が「26」、新浦壽夫投手が「28」、鹿取義隆投手が「29」だったことから、江川さんに「27」を選んでもらい、「26」「27」「28」「29」と、ずらり並ばせ、売りにしたかったといいます)