1975年、大学2年生の時、日米大学野球選手権の全日本メンバーに選ばれ、アメリカへ向かう日航機の中で、国際線の客室乗務員を務めていた正子さんに一目惚れすると、その後、正子さんと出会って半年ほどで交際に発展したという、江川卓(えがわ すぐる)さんは、正子さん以外の女性は考えられず、大学卒業後は、正子さんとの結婚を考えたそうですが、お父さんには猛反対されていたといいます。
「江川卓は妻と交際中に妻の実家で暴力を振るっていた!」からの続き
江川卓は父親には正子との交際&結婚を猛反対されていた
時折、大ゲンカをしつつも、正子さん以外の女性は考えられなくなっていたという江川さんは、正子さんとの結婚を考え始めていたそうですが、
交際すら反対していたというお父さんには、江川さんの周囲の人物に「(結婚は)早すぎるんじゃないか」と反対するよう頼むほか、正子さんの実家に対して仲介の人物を立て、2人が別れるよう工作したこともあったといいます。
(正子さんの家柄などは申し分なかったのですが、お父さんは江川さんをまだまだ手元から離したくなかったのだそうです)
江川卓は大学4年生の秋のリーグが終わった後、正子にプロポーズしていた
しかし、江川さんの正子さんへの気持ちは変わるどころか、ますます、正子さんに傾倒していったそうで、
大学卒業後は正子さんとすぐに結婚しようと決意すると、大学4年生の秋のリーグが終わった後には、正子さんにプロポーズしたそうで、正子さんもこれを受け入れてくれたのだそうです。
ドラフトではクラウンライター・ライオンズからの指名を断り、野球浪人したことから結婚は延期になっていた
そんな江川さんは、ドラフトで指名を受ければ、契約金が入り、給料にしても、普通の大卒以上の額がもらえるはずだから、すぐに結婚しても、十分に正子さんを養っていけると踏んでいたそうですが、
その年に指名されたのは、意中の球団(巨人)ではなく、クラウンライター・ライオンズだったことから、アメリカに留学して、野球浪人することになり、結婚は延期となったのだそうです。
江川卓は正子のことを分かってもらおうと、親戚の集まりなどには必ず連れて行っていた
その後、江川さんは、「空白の一日」騒動を経て、巨人に入団し、予定よりも2年遅れで正子さんと結婚しているのですが、
江川さんはその2年間で、お父さんをはじめとする、結婚に反対する親戚など周囲を説得するほか、正子さんのことをもっと分かってもらおうと、親戚の集まりなどがある際には、(呼ばれようと呼ばれまいと)いつも正子さんを連れて行っていたそうで、
(正子さんの人柄を知れば、正子さんを気に入るはずだと確信していたそうです)
その結果、まず、お母さんが認めてくれ、そのうえ、「あれほど愛し合った仲なんだから、生木を裂くようなことはできませんよ」と、お父さんを説得してくれたそうで、ついには、お父さんも結婚を認めてくれたのだそうです。
江川さん(左)と父親の二美夫さん(右)。