1975年、球宴(オールスター・ゲーム)の直前から広島カープの4番に定着し、同年7月19日、甲子園球場で行われた球宴(オールスター・ゲーム)第1戦では、衣笠祥雄選手とともに2打席連続アベックアーチを放ち、世間に「赤ヘル旋風」を巻き起こした、山本浩二(やまもと こうじ)さんは、シーズン後半戦も活躍を続け、広島初優勝が目前となるのですが、そんな中、9月10日、プロ野球史上最大級の「広島ファン2000人暴徒化事件」が勃発します。

興奮した広島ファンが球場になだれ込む「山本浩二が若い頃は衣笠祥雄と赤ヘル旋風を巻き起こしていた!」からの続き

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山本浩二は初めて経験する優勝争いのプレッシャーと広島の暑い夏に心身ともに疲れ果てていた

1975年の球宴(オールスター・ゲーム)第1戦では、衣笠祥雄選手と共に2打席連続アベックアーチを放ち、世間に「赤ヘル旋風」を巻き起こした山本さんは、その後、後半戦も活躍を続け、

球宴(オールスター・ゲーム)前、首位の阪神に1.5ゲーム差の3位につけていた広島カープは、1975年8月7日には、ついに首位に立ちます。

ただ、広島カープが球宴後に首位に立ったのは、球団創設以来初めてのことで、初めて経験する優勝争いのプレッシャーと、広島のうだるような暑い夏に、山本さんは精神的にも肉体的にも疲れ果てていたそうです。

(試合前には、共に活躍していた、衣笠祥雄選手、大下剛史選手、水谷実雄選手たちと、40~50分点滴を打っていたそうです)

山本浩二は一体感が生まれたチーム状況に優勝を意識するようになっていた

それでも、初めて経験する優勝争いという状況に、自分さえ良ければ、という世界から、自分が打てなくても「なんとかしてくれ」と、皆が思うようになり、チームに一体感が生まれてきたそうで、

山本さんは、前半戦を終了した時点では、ファンクラブ会長の内田美昭さんに「(優勝について)ひょっとしてひょっとするんじゃないか」と言われても、「まさか・・・」と返していたそうですが、8月になると、「ひょっとして・・・」と思うようになっていたそうです。

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山本浩二は初優勝を目前にプロ野球史上最大級の乱闘事件(広島ファン2000人暴徒化事件)に遭っていた

そして、広島カープは、9月に入っても首位をキープしていたのですが・・・

初優勝を目前にした1975年9月10日、プロ野球史上最大級の乱闘事件が勃発します。

8月7日から首位をキープしながらも、阪神と中日が目まぐるしく入れ替わる2位との差は一向に開かず、2位に1ゲーム差で阪神、さらに2ゲーム差で中日と続く中、9月10日、広島市民球場で行われた中日戦、

広島は、2対5とリードされて迎えた9回、好投を続けるも疲れの見え始めた中日・星野仙一投手から2点を返して4対5とすると、なおも二死二塁の場面、山本さんが抑えの鈴木孝政投手からセンター前ヒット。

そこで、二塁走者の三村敏之選手が本塁を狙うのですが、中日・ロナルド・ローン選手の好返球で本塁の3メートル手前で憤死し、ゲームセットとなってしまったのでした。

しかし、ここで、三村選手が、(中日・新宅洋志捕手のタッチが顔に入っていたことから)激高し、新宅捕手に詰め寄ると・・・

その瞬間、(カープ初優勝を目前にして)ヒートアップしていた数十人のカープファンがグラウンドになだれ込み、中日ナインに襲いかかるという乱闘に発展。

暴徒化する広島ファン
1975年9月10日、三村敏之選手と新宅洋志捕手のクロスプレーを巡り、暴徒化する広島ファン。

山本さんたちは「やめてくれ!」と必死にファンを止め、中日の選手を三塁ベンチからロッカールームに逃したそうですが、ファンが正面入口を包囲していたことから、機動隊が呼ばれる騒ぎとなり、中日のバスが球場を離れることができたのは、試合終了から1時間以上も経った午後11時過ぎとなったのでした。

(9月11日のデイリースポーツでは、この事件のことを、「広島ファン2000人が暴徒化」というタイトルで、「大島は左目をボクサーのように腫らし(中略)森下コーチが蹴飛ばされ、星野仙が酒をかけられた」と伝えています)

ちなみに、広島カープは、この日(9月10日)、中日に敗れたことで2位に転落しているのですが、翌11日に予定されていたこのカードの最終戦は、広島球団が「警備に自信が持てない」と申し出て、(雨でも交通機関のストでもないのに)中止となっています。

「山本浩二は広島初優勝で衣笠祥雄と抱き合って大泣きしていた!」に続く

興奮した広島ファンが球場になだれ込む1975年9月10日、三村敏之選手と新宅洋志捕手のクロスプレーを巡り、暴徒化する広島ファン。

お読みいただきありがとうございました

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