幼少期から自分を女の子だと思い、少年時代には恋愛対象が男性だとはっきり自覚しはじめていた中、同性愛者の若者が主人公の、三島由紀夫の小説「禁色」を読んで「同性愛」という言葉を知るほか、美輪明宏(当時は丸山明宏)さんの映画を見て、「ゲイボーイ」の存在を初めて知ったという、カルーセル麻紀(カルーセル まき)さんは、高校中退後、ススキノのゲイバー「ベラミ」で働き始めると、17歳の時にはついに上京し、銀座のゲイバー「青江」で売れっ子になったといいます。

ゲイボーイ時代のカルーセル麻紀

「カルーセル麻紀は少年時代ゲイバーで住み込みで働いていた!」からの続き

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カルーセル麻紀は高卒後、北海道各地のゲイバーを転々としていた

15歳の時に、高校を中退し、家出して、上京を図るも、汽車の中で車掌に家出とバレて、走っている汽車から飛び降り、その場所が札幌だったことから、ススキノ(飲み屋街)に行き、ゲイバー「ベラミ」で働き始めたカルーセルさんですが、

1ヶ月後には、地元の友人に手紙を出したことで親に居場所がばれてしまい、連れ戻されたそうです。

それでも、カルーセルさんは、その直後に、再び家出し、旭川市、根室市、帯広市、室蘭市など北海道各地のゲイバーを転々としたそうで、

室蘭ではスポンサーとなる人物と出会い、その人の援助を受けて友達と店を始めたそうですが、やがて、その友達とは大ゲンカになり、店は解散してしまったそうです。

カルーセル麻紀はゲイボーイ時代は上京後、銀座のゲイバー「青江」で売れっ子になっていた

そして、17歳の時にはついに上京を果たし、ゲイバー「青江」で働かせてもらおうと東京・銀座に行くと、夏休み期間は神奈川県鎌倉市でも営業しているということで、鎌倉店の面接を受けると、採用されたそうです。

(鎌倉店には、お店から行かされたのか、自分から志願したのか不明です)

ただ、面接の際、とっさに「牧田徹(マキタトオル)」と偽名を名乗ったことから、源氏名が「麻紀(マキ)」に決まったそうです。

すると、あっという間に人気が出て、夏が終わる頃には一番の売れっ子になったそうで、秋から本来の営業場所である銀座の「青江」で働くことになったそうですが、ある日のこと、酒癖の悪い先輩に絡まれたことが原因で店を辞めてしまったのだそうです。

ちなみに、カルーセルさんがゲイボーイになった10代の頃からの知り合いで、自身もゲイボーイとして名を馳せ、「吉野」のママだった吉野寿雄さんは、当時のカルーセルさんについて、

麻紀は女の子みたいで、とてもきれいだった。ゲイバーは上下関係が厳しかったけど、礼儀正しかったから、青江のママにも大事にされていたわ。

そのころ、東京のゲイボーイはみんな短髪で着流し姿だったの。街角に立ってるような連中が女装していたからね

と、語っています。

(そのため、カルーセルさんは、腰まであった長い髪をバッサリと切っていたそうです)

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カルーセル麻紀は若い頃は恋愛沙汰などが原因で転居を繰り返していた

そんなカルーセルさんは、その後、以前勤務していた札幌のゲイバー「ベラミ」を頼って札幌に戻ると、「ベラミ」のオーナーが経営するキャバレー「白鳥クラブ」で働くことになったそうですが、ここでも、客と大ゲンカの末、店を辞めると、

次に働いた愛知県名古屋市のゲイバーでも、19歳の時、ある男性に大失恋したショックから辞めてしまったそうで、

その後も、青森県弘前市ではショーパブ、同県三沢市ではバーの雇われママ、愛媛県松山市ではキャバレー勤め、他にも福岡市博多の店など、全国各地を転々とし、

その後、大阪に向かうと、ススキノ時代にお世話になった先輩のマヤさんがいたことから、キャバレーのような大型ゲイバー「カルーゼル」で働き始めたそうですが、

15歳で家出してから大阪に落ち着くまでの4年間で、13都市で16回も転居するほか、数十人もの男性との同居を経験したそうです。

(大阪に着いた頃には、カルーセルさんは、ゲイバー、キャバレー業界では有名人になっていたそうです)

ちなみに、カルーセルさんは、その頃について、

15歳から札幌、旭川、根室、帯広、室蘭と北海道中のゲイバーを転々と総なめにして、その後は東京、大阪、松山、福岡、そしてまた札幌と、最初に札幌を出てから19歳になって大阪に落ち着くまで、移り住んだ都市は13都市、引っ越し回数16回。

まあ、その間には、惚れたはれたの駆け落ちや色恋沙汰も話したらキリがないほどあったけどね(笑)。

と、語っています。

「カルーセル麻紀は女性ホルモンを自分で打ち胸の膨らみを出していた!」に続く

ゲイボーイ時代のカルーセル麻紀
ゲイボーイ時代のカルーセル麻紀さん。

お読みいただきありがとうございました

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