梅宮辰夫さん、石原裕次郎さん、岡田眞澄さん、菅原文太さん、二代目市川猿翁(当時は三代目市川猿之助)さんら、数多くの芸能人と親交があったという、カルーセル麻紀(カルーセル まき)さんは、歌手の藤圭子さんとも仲が良かったといいます。今回は、そんなカルーセルさんと藤さんのエピソードについてご紹介します。

カルーセル麻紀

「カルーセル麻紀の初めての男は梅宮辰夫?元仮面ライダーの俳優とも!」からの続き

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カルーセル麻紀は藤圭子をかわいがっていた

カルーセルさんは、藤圭子さんとは事務所が一緒だったそうで、最初は、藤さんを生意気そうな子だと思ったそうですが、

藤さんは人見知りで他の芸能人とは全然話さないにもかかわらず、カルーセルさんに対しては心を開き、とても慕ってきてくれたそうで、やがては、カルーセルさんは藤さんを「純ぺぇ」(藤さんの本名は阿部純子さん)と呼んでかわいがるようになったそうです。

(藤さんは、現在は宇多田ヒカルさんのお母さんとして知られていますが、1970年代に活躍した演歌歌手で、「圭子の夢は夜ひらく」「女のブルース」などでヒットを飛ばしました)

カルーセル麻紀が藤圭子に相談されて勧めた「銀座流れ唄」がA面になったことも

実際、藤さんが1978年4月に発売した「銀座流れ唄」は、藤さんが2曲のどちらをA面にするかB面にするか悩み、

麻紀さんどっちがいい?

と、聞かれて、

カルーセルさんが「絶対こっちがいい」と勧めた、「銀座流れ唄」がA面になったといいます。

カルーセル麻紀は藤圭子が引退することに反対していた

また、藤さんは1979年に芸能界を引退しているのですが、

藤さんは、引退することを聞いたカルーセルさんが心配して訪ねて来て、

純ちゃんやめたら駄目よ、あたしたちみたいな貧乏人がようやくこうして贅沢できるようになったんじゃない、

おいしいものをどんどん食って、奇麗なものをじゃんじゃん買って、そうやって生きていけばいいじゃない。やめるなんていったら絶対いけないよ、疲れたら休むと言えばいいの、休みなさい。

と、真剣な顔で言われたことを明かしています。

そして、藤さんは、カルーセルさんのことを、

同じ事務所でとっても仲がいいの。さっぱりした男みたいな人で・・・とにかく気持ちがいい人なの

とも、語っています。

カルーセル麻紀は藤圭子に頼まれて赤ん坊(宇多田ヒカル)のお守りをしたこともあった

そして、藤さんが芸能界を引退した後も、カルーセルさんと藤さんの親交は続いたそうで、1983年には、テレビ局に来ていた藤さんに赤ちゃんを預かるよう頼まれ、カルーセルさんは、「いやだよ何で私に」と思いながらも、赤ちゃんを抱いてあやしたことが2度あったそうです。

(藤さんは麻雀が好きで、カルーセルさんに赤ちゃんを預けて雀荘に行っていたそうです)

ちなみに、この赤ちゃんは、後に歌手としてデビューし、一世を風靡する宇多田ヒカルさんなのですが、カルーセルさんは、「あの時の赤ちゃんが!」ととても驚いたそうです。

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カルーセル麻紀は藤圭子が死去したことを受け入れることができなかった

しかし、そんなカルーセルさんと藤さんの関係も、2013年に藤さんが自ら命を断ったことで、終わりを告げているのですが、

カルーセルさんは、

純ぺぇ(藤さん)が死んだ時も驚愕したわ。とても受け入れられなかった。

と、藤さんの死を悼んでいます。

「カルーセル麻紀は両脚切断寸前(閉塞性動脈硬化症)だった!」に続く

カルーセル麻紀

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