実母が結核にかかってしまい、子供にうつらないようにと、姉夫婦に預けられると、幼かったことから、すっかり、実母の姉夫婦が実父母だと思いこんでいたという、美川憲一(みかわ けんいち)さんは、逆に、実母を叔母さんだと思い込んでいたそうですが、中学1年生の時、近所の人から、「あんたの本当のお母さんは、叔母ちゃんなのよ」と言われたといいます。

美川憲一と二人の母親

「美川憲一は母の姉夫婦(伯父伯母)に育てられ実父母と信じ込んでいた!」からの続き

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美川憲一が幼稚園の頃、養父母(伯母伯父)は友人の借金のせいで家を差し押さえられていた

美川さんが預けられた、実母の姉夫婦(美川さんの伯母夫婦)は、決して裕福ではないながら、子供がいなかったことから、とても美川さんをかわいがってくれたそうですが、

(結核が治った実母が美川さんを引き取りに行った際には、美川さんは、「やだ!」と、大泣きして抵抗したそうで、実母は仕方なく、そのまま、美川さんを姉夫婦に預けることにしたそうです)

美川さんが幼稚園くらいの頃、知人の作った借金のせいで、家を差し押さえられてしまうと、養父(伯父)はそれが元でノイローゼとなり、美川さんが小学校低学年の時には脳溢血で他界してしまったそうです。

(美川さんは、差し押さえられて赤紙が貼られた家財道具を、養母(伯母)に「触っちゃダメ」と言われたことを、今でもよく覚えているそうです)

美川憲一が小学校低学年の頃、養母が保険の外交員と料亭の中居を掛け持ちして必死で育ててくれた

その後は、養母(伯母)が、生活のため、昼はそれまでしたことのなかった保険の外交員、夜は料亭の中居をするなどして働き、借金を返済しながら、必死に美川さんを育ててくれたそうですが、

養母(伯母)は一日中働いていたため、美川さんは、いつも家でひとりぼっちだったそうです。

そんな中、隣の家では、家族が和気あいあいとテレビを見ていたそうで、(美川さんの家にはテレビがなかったことから)隣の家の人に、「テレビを見においで」と言われたそうですが、美川さんは意地でも見に行かなかったのだそうです。

美川憲一は少年時代、貧しい生活の中でも養母に「美」について教えられていた

また、養父母(伯母夫婦)の家は、古いトタン屋根だったそうで、雨が降ると雨漏りするため、雨の日には洗面器やバケツを部屋中に置いていたそうですが、

(寝ていると、おでこに水がぽつーんぽつーんと落ちてきたそうです)

そんな貧しい生活の中でも、養母(伯母)は、休みの日になると、よく銀座に連れて行ってくれたそうで、もちろん、お金がないので何も買えず、ぶらぶらとウィンドウショッピングを楽しんでいただけだったそうですが、

養母(伯母)は、美しい物を見ながら、「これは外国からきたものだよ」などと、ウィンドウショッピングしながら色々説明してくれ、

きれいな大人になるのよ。あなたは仕事をして自分のために買いなさいね

と、言ったそうです。

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美川憲一は中学生の時に出生の秘密を明かされるも受け入れることができていた

こうして、かわいがられて育てられた美川さんは、ずっと、養母(伯母)のことを実のお母さんと思い込み、逆に、実母のことを叔母さんと思っていたそうですが、

美川さんが中学1年生になったある日のこと、近所の人から、

あんたの本当のお母さんは、伯母ちゃんなのよ

と、言われたといいます。

ただ、美川さんは、

この人何言ってんだろう?

と、思うも、

(叔母さんと思い込んでいた)実母もかわいがってくれていたことから、全くショックではなかったそうで、

やがて、実母と養母からこの秘密を教えられたそうですが、その時も、すべてを受け入れることができたのだそうです。

ちなみに、美川さんは、

実母から、あんたは本当ならこの世に出なかった子なのよってよく言われたのよ。実の子によく言うと思わない?

流されていたはずなのに生まれたんだから、運が強い子なのよって。だからね、何か壁にぶち当たるたびに、この言葉を思い出して、私のエネルギーにしてきたの

と、語っています。

「美川憲一は昔俳優から歌手に転向するも全く売れなかった!」に続く

美川憲一と二人の母親
(左から)伯母(養母)の米子さん、美川憲一さん、実母の以し子さん。

お読みいただきありがとうございました

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