1989年に「オフコース」が解散となり、ソロ活動を本格化した、小田和正(おだ かずまさ)さんですが、それから、わずか2年後の1991年には、テレビドラマ「東京ラブ・ストーリー」の主題歌として書き下ろした「ラブ・ストーリーは突然に」が200万枚を超える大ヒットを記録します。

「小田和正が「オフコース」を解散した理由とは?」からの続き

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6枚目のソロシングル「ラブ・ストーリーは突然に」が売上200万枚超の大ヒット

小田さんは、1986年から、「オフコース」の活動と並行してソロ活動を始めていたのですが、1989年に「オフコース」が解散した後は、ソロ活動を本格化させると、

1991年、テレビドラマ「東京ラブ・ストーリー」の主題歌に描き下ろした、6枚目のソロシングル「ラブ・ストーリーは突然に」が、発売初日で初回プレスの58万枚を完売し、オリコン初登場1位となると、最終的には、270万枚を売り上げる、当時の日本シングルCD史上最高の売上を記録します。


ラブ・ストーリーは突然に

(「ラブ・ストーリーは突然に」は「Oh!Yeah!」との両A面扱いでリリースされています)

当初「東京ラブストーリー」の主題歌は別の曲だった

ただ、テレビドラマ「東京ラブ・ストーリー」の主題歌は、実は、別の曲だったといいます。

というのも、当初、小田さんは、レコード会社のスタッフから、「ドラマに使う曲が欲しいというオファーがあるんだけど」と、既に第一生命のCMに決まっていた、小田さんの「Oh!Yeah!」のカップリング曲(「FAR EAST CLUB BAND SONG」)を、「これをプレゼンしていいですか」と聞かれたそうで、特に望みも期待もなかったことから、(「あれでいいんだ」と思いつつ)「いいよ」と返事をしたそうですが、

やはり、オファーを出していたフジテレビのプロデューサー・大多亮さんの希望は、「オフコース時代の「Yes-No」に似た切ない感じの曲」で、期待したものとは違っていたそうで、別の曲を作ってもらうよう言われたのだそうです。

(大多さんは、悩みながらも、小田さんが気分を害するのを覚悟で別の曲を依頼したそうです)

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「ラブ・ストーリーは突然に」はドラマ「東京ラブストーリー」のために描き下ろした曲だった

そこで、小田さんが、「1週間もらえれば、ぐうの音も出ないような曲を作る」と宣言し、改めて作り直したのが、この、「ラブ・ストーリーは突然に」だったそうで、

小田さんは、この「ラブ・ストーリーは突然に」の成功について、

一人になってから、ほんの1、2年くらいの出来事だったのかな。みんなびっくりしたね。みんながびっくりして、どうなのこれって言って。

だから、ちょっとご褒美(ほうび)が早すぎたなと思ったの。このヒットに足下をすくわれたりしちゃいけないなという気持ちがすごくあった。

スタッフにも、「これはたぶん、まぐれ当たりみたいなもんだから、こんなときこそ謙虚な気持ちで臨もう」と言ったし、そんなことを、すごく事務所で話しあったね。

と、語っています。

(「東京ラブストーリー」で主演を務めた鈴木保奈美さんは、ロケバスの中でこの曲を聴きながら、役作りの参考にしたといいます)

「小田和正の初映画監督作品「いつかどこかで」の評価は散々だった!」に続く

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