穏やかで優しい物腰が人気を博している、谷原章介(たにはら しょうすけ)さんですが、実は、少年時代は兄弟の中でも一番やんちゃだったといいます。今回は、そんな谷原さんの少年時代から、美術専門学校時代にモデルとしてスカウトされるまでをご紹介します。
谷原章介は中国人?祖父は戦艦艦長で父は中国生まれ!母は?家系図は?からの続き
谷原章介は少年時代はいじめる側といじめられる側の両方を経験していた
谷原章介さんは、工業デザイナーのお父さん・谷原國彦さんのもと、3人兄弟の次男として誕生すると、幼い頃は家の近くを流れている鶴見川の支流の早渕川にザリガニを捕まえに行ったり、近くの山でクワガタを取ったり、竹の子掘りをするなど、自然の中で遊びながら育ったそうです。
また、谷原さんは、兄弟の中でも一番やんちゃだったそうで、中学に入学した頃は身長が143センチと背が低かったものの、身体の大きいクラスメイトと一緒に他のクラスメイトをいじめるなど、やりたい放題やっていたそうです。
ただ、ある日のこと、転校生が来ると、その身体の大きいクラスメイトは、谷原さんよりも転校生と仲良くなってしまったそうで、気がつくと、クラスのみんなが手のひらを返したように口を利いてくれなくなり、いじめられる側になってしまったそうで、
谷原さんは、初めていじめられる側の気持ちが分かり、実力もないのに調子に乗っていたらこうなるんだなと、身にしみて分かったそうで、
辛い経験でしたが、中学時代にそう気付けたことが、その後の人生にとても役立っています。
と、語っています。
(身長は、中学3年間で35㎝伸び、133㎝から178cmになったそうです)
谷原章介は高校時代には進級できる最低限の日数しか登校せず、毎日ゲームセンターに入り浸っていた
そんな谷原さんは、中学卒業後は、地元の神奈川県立港北高等学校に進学しているのですが、まるで大学のように校則のゆるい高校だったことから、中学時代、受験勉強を頑張った反動で勉強する気がなくなってしまったそうで、
高校には、進級できる最低限の日数しか登校せず、毎日、大倉山駅前のゲームセンターに入り浸り、夏休みになると、友達や先輩の家を泊まり歩き、音楽やギターを教えてもらったりしたそうです。
また、谷原さんは、ヘヴィメタルが好きだったことから、その影響で髪を伸ばし、ヘヴィメタルバンドを組んで、バンド活動もしていたのだそうです。
(ちなみに、谷原さんは、長髪だったことから女性に間違えられ、いかついお兄さんに山下公園でナンパされた(後ろから声をかけられた)ことがあったそうですが、谷原さんが振り向いた時には、男性と気づいたのか、そのいかついお兄さんはいなくなっていたそうです(笑))
高校時代の谷原章介さん。そらナンパされますわ
谷原章介は美大進学を考えるも経済的な理由から美術の専門学校「セツ・モードセミナー」に進学していた
そして、高校卒業後の進路を考える時期になると、美術が好きだったことから、一時は、美術大学の受験も考えたそうですが、
もし万が一、不合格になってしまった場合、(それほど裕福ではなかったことから)浪人できないため、最終的には、一番お金のかからない学校に行こうと、当時、一番学費が安かったという、美術の専門学校「セツ・モードセミナー」に行くことにしたのだそうです。
「谷原章介は若い頃メンズノンノ専属モデルから俳優に転向していた!」に続く
モデル時代の谷原章介さん。