小学3年生の時から父・宣之さんと二人三脚で毎日かかさず野球の練習をしていたというイチローさんは、同年代の子供とは比較にならない技術を身に着けていたそうですが、小学6年生の時には120キロの球を難なく打ち返し、中学3年生の時には130キロの球を12メートルの至近距離から打ち返すようになっていたといいます。
「イチローは小学生からプロ野球選手を目指し父親と練習していた!」からの続き
イチローは中1の時にはバッティングセンターで120キロの球を難なく打ち返していた
イチローさんは、月曜日から土曜日は、午後3時半から午後6時過ぎまでお父さんと町営の伊勢山グラウンド(田んぼの中にある60メートル四方の土の多目的広場)で練習をすると、その後、夕飯を食べ、宿題を終わらせた後、空港バッティングセンターへ行き、日曜日の朝9時から12時までは、スポーツ少年団に行くという、大好きな野球漬けの毎日を送っていたそうですが、
空港バッティングセンターでは、左右両方で打つことができ、速球が打てる8番ボックスが、イチローさんの指定席になったそうで、小学校3年生の時には100キロ前後のボールを打つことができたというイチローさんは、
学年が上がるごとにより速いボールを打てるようになっていき、小学5年生の頃には110キロ、小学校の終わり頃には120キロのボールを難なく打ち返し、
中学に入ってしばらくすると、空港バッティングセンターで打てる最高速の120キロのボールでも物足りなくなったのだそうです。
ちなみに、イチローさんが小学生の時の、バッティングセンターでの姿を覚えているという、元プロ野球選手でイチローさんと同じ愛知県出身の稲葉篤紀さんは、
イチ君は小学校のとき、木のバットで打ってた。それがすごく印象的で、120キロ(のスピードのボールを)を本当に見事に打ってたの。すごいなあぁと思って見てた
と、語っています。
イチローは中3の時には12メートルの至近距離から130キロのボールを打ち返していた
そこで、イチローさんの父親の宣之さんが、空港バッティングセンターの支配人の井上錬一さんに、
もっと速いボールを投げられるようにできないでしょうか
と、お願いすると、
数年来のお馴染みということもあって、井上さんはこの申し出を快く受けてくれ、特別製のバネを注文して、130キロのボールが投げられるように8番ボックスを改造してくれたのだそうです。
しかし、イチローさんは中学の終わり頃には、そのスピードにも慣れてしまい、打席の位置を1~3メートルほどマシンの方に近づけて打ち返していたのだそうです。
(マシンから打席までの距離は14.55メートルだったそうで、イチローさんは約12メートルの距離から130キロの速球を打っていたことになります)
イチローは小3から中学卒業までの7年間、1日も休まずバッティングセンターに通い続けていた
また、イチローさんは小学3年生から中学を卒業するまでの7年間、ほとんど一日も休まずに空港バッティングセンターに通い続けたそうで、
毎晩平均すると150球前後、1年365日毎日打っていたそうですが、その日のバッティングに満足できないと、自分なりに納得きるまでやり遂げたかったことから、
一度、家に帰ってから、
お父さん、もう一度行こう
と、言うことも度々あったといいます。
というのも、イチローさんは自身でテーマを持って打席に立っていたそうで、そのうちの一つが、前方のネットの狙ったところに打球を打ち返すことだったそうで、
仮に1ゲーム25球のうち大半が思ったような打球でも、最後の1球を打ち損じ、狙い通りのところへ行かないと、もう一度、初めからやり直したのだそうです。
イチローの父親・宣之はイチローが小4の時にプロ野球選手になれることを確信していた
ちなみに、イチローさんの父・宣之さんによると、イチローさんには、選球眼を磨くためとバッティングフォームを崩さないため、ボール球は振らなくていいと言っていたそうですが、
ゲーム代は宣之さんが小遣いの中から毎月捻出していたそうで、当然ゲームの数は多くなり、毎日のこともあり、1ゲーム25球200円で、1ヶ月4~5万円かかったそうです。
(ただ、ボール球を振らないイチローさんの練習方法を見た支配人の井上さんからは、1~2ゲーム、サービスでやらせてもらえることもしばしばあったそうです)
それでも、既にイチローさんが小学4年の時から、プロ野球選手になれることを確信していたという宣之さんは、ずっとイチローさんに付き合ったそうですが、
実は、ある日のこと、スポーツ少年団のチーフ長の水野敏正さんが、興奮しながら宣之さんのもとにやって来て、
鈴木さん、一朗くんにはびっくりしました。あんな技術を持っている子はそうざらにはいませんよ。将来は、絶対バッターにさせたほうがいい
と、言ったというのです。
というのも、水野さんいわく、イチローさんのフリーバッティング練習の際、(イチローさんのバッティングが小学3年生からの1年間で上達していたことを十分に知っていたことから)遊び心を出し、速球を投げ続けたところ、イチローさんは右中間の同じ場所に(5メートルと違わないところ)次から次へとはじき返したというのです。
また、宣之さん自身、小学3年生からの1年間、マンツーマンでやってきた成果が確実に出てきていることを実感していたそうで、父親の贔屓目(ひいきめ)なしに見ても、イチローさんが、走、攻、守ともに同学年の子供たちとは比べ物にならないほど抜きん出て、特にバッティングセンスと技術は卓越していると感じていたのだそうです。
そして、宣之さんは、イチローさんに足りないものは、心技体のうち体だけで、イチローさん本人が今持っている純粋な気持ちを持ち続け、横道にそれることなく、ケガなく大好きな野球に打ち込みさえすれば、必ずプロになれると確信したのだそうです。
「イチローは愛工大名電には成績特待生で進学!県立高校進学予定だった?」に続く