1963年、テレビドラマ「お嬢さんカンパイ!」で俳優デビューすると、1966年には、俳優のかたわら、若者向け情報番組「ヤング720」で司会を務めたことがきっかけで司会業に進出すると、1979年には、「クイズ100人に聞きました」で独自の司会スタイルを確立し、たちまち人気司会者の仲間入りを果たした、関口宏(せきぐち ひろし)さん。
そんな関口宏さんのプライベートはどのようなものだったのでしょうか。今回は、妻・佐知子さんとの馴れ初めなどをご紹介します。
「関口宏は左翼!サンモニで張本勲と対立するも長年共演していた理由とは?」からの続き
関口宏の妻・西田佐知子との馴れ初めは?猛アタックしていた!
関口宏さんは、1971年、「コーヒー・ルンバ」「アカシアの雨がやむとき」などのヒット曲を持つ、5歳年上の歌手・西田佐知子さんと、お見合い番組「ラブラブショー」で共演したことがきっかけで知り合うと、猛アタックの末、結婚しているのですが、
実は、この番組の担当プロデューサーと関口宏さんは仲がよく、
お前の好きな人を呼んでやる
と、プロデューサーに持ちかけられた関口さんが、大ファンである西田佐知子さんを指名して、共演が実現していたそうです。
そんな関口宏さんは、出会って1年も経たない1971年3月に婚約を発表すると、その発表の8日後には挙式という異例のスピード婚で、翌年の1972年には、男の子が誕生し、幸せな結婚生活をスタートさせているのですが、
関口宏さんよりも、西田佐知子さんの方が5歳年上だったことから、周囲には結婚に反対する声もあったそうです。
ただ、関口宏さんは、
結婚は計算してできるもんじゃなく、ある日突然しちゃうもんだ
と、言って、西田佐知子さんと結婚したのだそうです。
結婚披露宴での関口宏さんと佐知子さん。
関口宏は妻・西田佐知子に背中を押され司会業1本でやっていく決心をしていた
そんな中、関口宏さんは、1970年代後半、30歳を過ぎた頃くらいから、俳優の仕事が激減してしまったそうで、俳優業と司会業の2足のわらじでいくか、方向性に悩んでいたそうですが、
佐知子さんに、
ゼロになってもかまわないじゃない。もともとゼロからの出発なんだから。
あなたは司会の仕事をしているときの方が生き生きしているじゃない
と、後押ししてもらったそうで、
そこで、司会業1本で活動していくことを決心すると、その後、次々と司会のオファーが舞い込み、押しも押されぬ人気司会者になったのでした。
(佐知子さんは、大ヒット曲を持っていましたが、「私は器用じゃないから主婦業に専念したい」と言い、結婚後は芸能界を引退して専業主婦として、夫である関口宏さんをサポートしていたそうです)
ちなみに、関口宏さんは、1994年、「女性セブン」(1994年3月17日号)のインタビューで、
女房が“ゼロになってもかまわないじゃない。もともとゼロからの出発なんだから”といってくれたひと言が、非常に心の支えになりましたね。この言葉はいまでもはっきりと覚えていますよ
と、語っています。
関口宏と妻・佐知子は仲睦まじく結婚生活は良好そのものだった
また、関口宏さんによると、佐知子さんは、いつも率直な意見を言ってくれ、関口宏さんは、すぐにそのアドバイスを取り入れて、仕事に活かしていたそうで、
うちの女房は最高のモニターだよ
と、よく口にするなど、佐知子さんを最も頼りにしていたそうです。
そんな関口宏さんは、家庭でも、佐知子さんの手料理を食べて英気を養うほか、1985年には、世田谷に一軒家(「関口御殿」と呼ばれた推定5億円で、545平方メートルの広い土地に建つ地上2階地下1階の豪邸)を建て、仲良く過ごしていたそうですが・・・
「関口宏の嫁・西田佐知子は病気で世田谷の自宅を解体!息子は関口知宏!」に続く