優勝69回、賞金女王11回と素晴らしい成績で日本女子ゴルフ界を牽引した、樋口久子(ひぐち ひさこ)さんですが、中学時代には、陸上選手として活躍し、本格的に陸上をするために二階堂高等学校(現・日本女子体育大学附属二階堂高等学校)に進学していたといいます。
今回は、そんな樋口久子さんがゴルフを始めた経緯などを、生い立ち(幼少期から研修生時代)と合わせて、ご紹介します。
樋口久子のプロフィール
樋口久子さんは、1945年10月13日生まれ、
埼玉県川越市の出身、
身長163センチ、
血液型はO型、
学歴は、二階堂高等学校(現・日本女子体育大学附属二階堂高等学校)卒業
ちなみに、樋口久子は本名で、結婚後は「大塚久子」です。
樋口久子は幼少期に「お転婆」「おしとやか」の二面性を持っていた
樋口久子さんは、8人兄弟姉妹(男2人、女6人)の下から3番目として誕生すると、幼い頃は、男の子と遊ぶことが多く、かけっこをしたり、石けりなどをしていたそうですが、
その一方、お針(洋裁)の先生だったおばあさんの影響で、高校生の時には、自分でスカートを縫ったり、刺繍などをコツコツやるのが好きで、お転婆(てんば)とおしとやかの二面性を持っていたそうです。
(お母さんも裁縫に関してはお商売ができるほどの腕前だったそうです)
樋口久子は中学時代に陸上部も練習があまり好きではなかった
そんな樋口久子さんは、中学生時代には陸上部に所属し、80メートルハードルをやっていたそうですが、練習があまり好きではなく、ある日、陸上の練習をさぼったことがあったそうですが、
顧問の先生がお母さんを訪ねて来て、
優秀なのだから練習に来れば伸びる
と、言ったそうで、
これを聞いた樋口久子さんは、
これはいけない。練習というのは人のためにするのではなく自分のためにするものだ
と、気がついたのだそうです。
樋口久子は高校生時代にゴルフ場に勤めていた姉の影響でゴルフを始めるようになった
こうして、進んで練習するようになった樋口久子さんは、中学卒業後は、陸上競技を伸ばそうと考え、二階堂高等学校に進学すると、
埼玉県川越市の実家から二階堂高等学校に通うのは遠すぎたため、東京の世田谷に住んでいた一番上のお姉さんのもとから通学することにし、川越市から世田谷に引っ越ししたそうですが、
近所に友達がいないことから、土曜日、日曜日になると、東急砧(きぬた)ゴルフ場に勤めていたお姉さんにくっついて一緒にゴルフ場に通っていたそうで、このことがきっかけとなり、ゴルフを始めるようになったそうです。
高校時代の樋口久子さん(左端)
樋口久子は高校卒業時ゴルフの道に進む決意をするも、ダメなら洋裁の道に進み直せばいいやと軽い気持ちだった
そんな樋口久子さんは、高校3年生の進路を考える時期になると、そのまま(二階堂高等学校からエスカレーター式で)日本女子体育大学に進学するか、就職するか、ゴルフの道に進むかで悩んだそうですが、
お姉さんから、
あなたはスポーツが好きなのだからゴルフをやってみたら
と、勧められ、
2、3年やってみて駄目だったら洋裁の道に進み直せばいいや
と、軽い気持ちで、ゴルフの道に進むことにしたのだそうです。
(すぐ上のお姉さんがプロゴルファーと結婚するなど、ゴルフには縁があったこともあり)
ちなみに、樋口久子さんは、8人兄弟の下から3番目だったため、ゴルフの道に進むことに対し、家族から特に反対はなかったそうです。
樋口久子は高校卒業後は元プロゴルファーの中村寅吉に誘われ川越カントリークラブに就職していた
こうして、樋口久子さんは、お姉さんが勤める東急砧ゴルフ場で知り合った、元プロゴルファーの中村寅吉さんに、
プロになりたいのだったら俺のところに来い
と、誘われていたことから、
中村寅吉さんが社長をしていた川越カントリークラブに研修生として就職したそうです。
樋口久子は研修生時代(18歳)は中村寅吉にグリップの握り方から教えてもらっていた
ちなみに、樋口久子さんは、高校の時から、お姉さんが勤める東急砧ゴルフ場でゴルフはしていたのですが、あくまで、遊びでやっていたため、ボールを打つことはできたものの、先生に指導を受けるというのは初めてで、
加えて、当時は上下関係が厳しい時代だったため、男子でも手取り足取り教えてもらうということはなく、「目で見て盗め」というスタンスだったこともあり、中村寅吉さんの第一印象はとても怖かったそうです。
それでも、川越カントリークラブでは、中村寅吉さんに、グリップの握り方から始まり、すべてのことを教えてもらったそうで、
樋口久子さんは、中村寅吉さんに一度教わったことを忘れないうちに、早く身につけなければならないと思い、ボール打ちに励んだのだそうです。
(樋口久子さんは、川越カントリークラブでは練習場に勤務していたため、早朝にお客さんがスタートすると、後は誰もいなくなり、それからが自分の時間となったそうで、一日中でもボールを打っていられたことから、このうえなく幸せな毎日だったそうです)
樋口久子が研修生時代は女子ゴルフは同好会のような感覚で試合をやっても賞金は出なかった
また、樋口久子さんが研修生時代は、女子は同好会のような感覚だったそうで、毎月集まって試合をやっても、賞金は出なかったそうですが、
女子プロを応援してくれているファンの人たちが、
じゃあ10万円出してあげるから皆で競技をしなさい
と、お金を出してくれたのだそうです。
「【画像】樋口久子の若い頃は?現在までの経歴を時系列でまとめ!」に続く
1967年、プロテストに合格すると、以降、国内69勝、賞金女王11回、海外3勝と活躍し、日本女子ゴルフ界の草分け的な存在となった、樋口久子(ひぐち ひさこ)さん。 今回は、そんな樋口久子さんの若い頃から現在までの活躍や経 …