1962年、映画「愛的教育」で子役デビューすると、以降、アクション俳優として活動し、90キロを超える巨体ながら軽やかな身のこなしで頭角を表した、サモ・ハン・キンポー(洪金寶)さんですが、

幼少期には、やんちゃで手に負えない子供だったため、矯正の意味で「中国戯劇学院」に預けられると、そこでは、京劇役者になるために過酷な訓練に励む日々を送り、やがて、学院内のエリート中のエリート「七小福」という子役集団の選抜メンバーとして活躍するようになったといいます。

今回は、そんなサモ・ハン・キンポーさんの、生い立ち(幼少期から中国戯劇学院時代)をご紹介します。

サモ・ハン・キンポー

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サモ・ハン・キンポーのプロフィール

サモ・ハン・キンポーさんは、1952年1月7日生まれ、
イギリス領香港の出身、

身長169.5センチ、
体重99キロ、
(2017年、膝をケガした際に、医師から体重を18キロは減らすように指導されたことから、2020年には、70キロ前後まで落としたそうです)

血液型は不明、

学歴は、
中国戯劇学院中退

本名は、「ハン・キンポー(洪金寶)」で、「サモ」は、愛称なのですが、出生時、髪の毛が3本あったことから、漫画「三毛流浪記」の主人公の三毛(サモ)にちなんでつけられたのだそうです。

また、愛称は、大大兄貴という意味の「大大哥(タイタイコー)」で、英語圏では、「サモ・ハン(Sammo Hung)」名義を使っています。

サモ・ハン・キンポーの幼少期はやんちゃで手に負えない子供だった

サモ・ハン・キンポーさんは、幼い頃は、両親が共働きだったため、プロデューサーの祖父、女優の祖母の家に預けられていたそうですが、

その環境が良くなかったのか、やんちゃでケンカっ早く、手に負えない少年に育ったそうです。

サモ・ハン・キンポーは10歳で祖母に「中国戯劇学院」に入れられていた

そして、1962年、サモ・ハン・キンポーさんが10歳の時には、見かねた祖母に、やんちゃグセが治ればと、京劇や武術が学べる「中国戯劇学院」に連れて行かれたそうで、

学校側からは自由で楽しい学校であるとの説明を受けたことから、サモ・ハン・キンポーさんは、それならばと、入学を決意したそうですが・・・

実際には、朝の5時から夜の11時まで特訓で、睡眠時間は5時間以下、自由時間や休日は一切なし、休憩事件も昼食と夕食の時のみという地獄のような環境だったそうで、ここで、サモ・ハン・キンポーさんは、京劇の基礎を徹底的に叩き込まれたのだそうです。

(この「中国戯劇学院」は主に貧困家庭の子どもたちを引き取って無償で育てる代わりに京劇の役者に育てるという学校だったそうですが、もし、子供が病気などで死亡したとしても学校は一切の責任の負わないというスタンスで、半ば身売りされたとも言えるような過酷な生活だったそうです)

サモ・ハン・キンポーは中国戯劇学院時代には後輩のジャッキー・チェンやユンピョウをいじめていた

ちなみに、サモ・ハン・キンポーさんは、アニキ肌で下の者に対して面倒見が良く、「中国戯劇学院」では、兄貴分として慕われていたそうですが、

一方で、独裁的でわがままなところがあったことから、ジャッキー・チェンさんやユンピョウさんら、後から入ってきた後輩をことごとくイジメ倒していたそうで、特に、ジャッキー・チェンさんはこれに反発し、衝突が絶えなかったといいます。

(ジャッキー・チェンさんは、父親が「中国戯劇学院」の校長先生と国民党時代の戦友であったため、学院内で特別扱いを受けていたそうで、このことに対して、サモ・ハン・キンポーさんの反発があったと言われています)

「七小福」時代のジャッキー・チェン
「七小福」時代のサモ・ハン・キンポーさんとジャッキー・チェンさん。

サモ・ハン・キンポーは中国戯劇学院時代に「七小福」のメンバーに最年長で選抜されていた

さておき、サモ・ハン・キンポーさんは、厳しい特訓に堪え、メキメキと力をつけていくと、「中国戯劇学院」の中でも、優れたメンバーで構成される子役集団「七小福」のメンバーに最年長で選抜されたそうで、京劇の巡業の中でも、とりわけ大事な公演や宴席を任されたそうです。

また、ジャッキー・チェンさんやユンピョウさんもこの「七小福」のメンバーに選ばれていたことから、共に苦しい修行時代を過ごしたことで、やがて、3人は固い絆を結ぶようになっていったのだそうです。

サモ・ハン・キンポーは中国戯劇学院時代の入院中に暴飲暴食を続けたことで肥満体になっていた

そんな中、サモ・ハン・キンポーさんは、練習中にかかとをケガしてしまい、入院を余儀なくされると、この間、もちろん訓練は中断されていたのですが、

食事量が変わらなかったことから(つまり、暴飲暴食を続けていた)退院する頃にはブクブクと太ってしまったそうです。

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サモ・ハン・キンポーは「七小福」を外されたことを屈辱に感じ自ら中国戯劇学院を退学していた

これに対し、学校側は激怒したそうで、サモ・ハン・キンポーさんは、腕は落ちていないと主張したそうですが、学校側には聞き入れられず、サモ・ハン・キンポーさんは、「七小福」を外されてしまったそうです。

すると、サモ・ハン・キンポーさんはこれを屈辱(くつじょく)に感じたそうで、本来は10年コースだったのを、8年で卒業させてもらうように学校側に申請し、「中国戯劇学院」を去ったのだそうです。(事実上、退学)

ちなみに、サモ・ハン・キンポーさんは、かねてより、「中国戯劇学院」内で、優等生である自分は目をかけられてもおかしくない立場にいるのに、厳格すぎる学院での生活を強いられていることに不満を抱えていたそうで、

太りはしたものの、身体能力は衰えていなかったことから、これを武器に、学院を卒業した先輩達から話を聞いていた映画業界へと進む決意をしたのだそうです。

(サモ・ハン・キンポーさんが太ったのはこの時期だったと言われています)

「【画像】サモ・ハン・キンポーの若い頃は?現在までの経歴を時系列まとめ!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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