舞踏家(ぶとうか)の麿赤兒(まろ あかじ)さんと舞踊家(ぶようか)の田中泯(たなか みん)さんが、ルックスのみならず、されていることも似ていることから、多くの人がネットで検索しているようです。
そこで、今回は、麿赤兒さんと田中泯さんが似ている件、舞踏家と舞踊家の違い、共演作品などについてご紹介します。
「【画像】麿赤兒の若い頃から現在までの出演ドラマ映画ほか経歴は?」からの続き
麿赤兒と田中泯が似ている
舞踏家の麿赤兒さんと舞踊家の田中泯さんは、雰囲気が似ており、間違えている方が結構いるといいます。
田中泯さん。
麿赤兒さん。
麿赤兒は「舞踏家(ぶとうか)」、田中泯は「舞踊家(ぶようか)」
しかも、麿赤兒さんは「舞踏家(ぶとうか)」、田中泯さんは「舞踊家(ぶようか)」ということで、これも似ており、違いがよく分かりません。
そこで、調べてみると、
この2つに明確な定義の違いがあるわけではないそうですが、一般的には、
舞踏家は、
- 「暗黒舞踏」と呼ばれる、日本の前衛的な身体表現を行う人を指す
- 土方巽(ひじかた たつみ)さんによって創始され、内面的な感情やテーマ性を強く表現し、時にグロテスクさや不気味さを伴う
- 従来の舞踊の枠にとらわれない、より根源的な身体表現を追求する
舞踊家は、
- 日本舞踊、クラシックバレエ、モダンダンスなど、ダンスをする人全般を指すことが多く、そのため、動きの美しさや様式美を重視する傾向にある
とのニュアンスで使い分けられることが多いとのことです。
また、田中泯さんも、土方巽さんに、師事はしていないものの、私淑(直接教わってはいないが尊敬し師と仰ぐこと)し、土方巽さんに強い影響を受けたそうで、舞踏家も舞踊家もルーツは同じで表現が共通しているところがあるようです。
ただ、一方で、田中泯さんは、踊りに対する独自の哲学と、既存のジャンルに囚われない表現へのこだわりがあり、自身のことは、「舞踏家」ではなく「舞踊家」と呼ばれることを望んでいるといいます。
というのも、田中泯さんは、土方巽さんによって創始された「暗黒舞踏」のイメージと強く結びついている「舞踏家」という枠に、自身の多様な表現が収まることを嫌っているからだそうで、
田中泯さんは、自身の身体表現を、特定のジャンルに限定することなく、より普遍的で自由な”踊り”として捉え、その本質を追求しようとしているのだそうです。
麿赤兒と田中泯の共演は?
ちなみに、そんな麿赤兒さんと田中泯さんは、それぞれ、俳優としても、数多くの作品に出演しているのですが、
2025年現在、テレビドラマや映画での共演はないようで、2人の名前が同時にキャストとしてクレジットされている作品は確認できませんでした。
(ただ、麿赤兒さんの次男・大森南朋さんと田中泯さんは、「ハゲタカ」「龍馬伝」などで共演し、話題となりました)
「麿赤兒の元妻ダダとの馴れ初めは?子供(息子)は大森立嗣と大森南朋!」に続く
1972年、29歳の時、舞踏集団「大駱駝艦」を旗揚げすると、“天賦典式”と名付けた独自の表現形態で、これまでに60以上もの作品を世に送り出している、麿赤兒(まろ あかじ)さんは、プライベートでは、結婚を1回、離婚を1回し …