1972年、29歳の時、舞踏集団「大駱駝艦」を旗揚げすると、“天賦典式”と名付けた独自の表現形態で、これまでに60以上もの作品を世に送り出している、麿赤兒(まろ あかじ)さんは、プライベートでは、結婚を1回、離婚を1回しています。
今回は、麿赤兒さんの、元妻との馴れ初め、2人の子供(息子)、子供との独特過ぎるコミュニケーション方法について、ご紹介します。
「麿赤兒と田中泯が似ている!共演は?舞踏家と舞踊家の違いは?」からの続き
麿赤兒の妻ダダとの馴れ初めは?
麿赤兒さんは、時期は不明ですが、”風月堂の女王ダダ”と呼ばれた、小林桃枝さんと結婚しています。
麿赤兒さんの元妻・小林桃枝さん。
「風月堂」は、かつて、東京都新宿区にあった喫茶店で、1960年代には、寺山修司さん、岡本太郎さん、三國連太郎さん、ビートたけしさんら、演劇関係者をはじめ、多くの文化人が集まっていたお店で、
麿赤兒さんは、20歳くらいの頃、所属していた劇団「変身」に嫌気が差し、この「凮月堂」に入り浸るようになっていたそうですが、そこで、同じく「凮月堂」の常連客でマドンナ的存在だった、小林桃枝さんと知り合ったのだそうです。
ただ、麿赤兒さんは、プライベートについてほとんど明かしていないため、どのような経緯で結婚に至ったかは不明です。
(”ダダ”とは”ダダイズム”のことで、既存の秩序や常識を否定する芸術運動のことをいうそうですが、小林桃枝さんは、独特の服装をしていたことから、”女王ダダ”と呼ばれていたのだそうです)
ちなみに、作家の嵐山光三郎さんは、小林桃枝さんについて、
不良っぽくてアンニュイで気前が良くて雰囲気のあるボス的な女ですね
と、語っています。
麿赤兒は子供が幼い頃に妻と離婚していた
そんな麿赤兒さんと小林桃枝さんは、2人の子供(男の子)に恵まれたそうですが、
麿赤兒さんは、自分の舞踏に専念していて、ほとんど家に帰ることがなかったそうで、やがて、子供がまだ幼い頃に別居となり、その後、離婚したそうです。
麿赤兒の子供は息子が2人
それでは、麿赤兒さんの子供(息子)2人をご紹介しましょう。
息子(長男)は映画監督の大森立嗣
まず、麿赤兒さんの長男は、1970年9月4日に誕生した、映画監督の大森立嗣(おおもり たつし)さんで、
大森立嗣さんは、2005年、映画「ゲルマニウムの夜」で映画監督デビューすると、
2010年には、「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」で「第51回日本映画監督協会新人賞」受賞し、
2013年には、「さよなら渓谷」で、日本映画としては48年ぶりとなる「第35回モスクワ国際映画祭 コンペティション部門審査員特別賞」を受賞、
2018年には、「日日是好日」で「第43回報知映画賞 監督賞」を受賞するなど、数々の作品で賞を受賞しています。
(麿赤兒さんは、常連俳優として、しばしば、大森立嗣さんの映画に脇役で出演しています)
麿赤兒さんの長男・大森立嗣さん。
息子(次男)は俳優の大森南朋
麿赤兒さんの次男は、1972年2月19日に誕生した、俳優の大森南朋(おおもり なお)さんで、
大森南朋さんは、1993年、20歳の時、映画「サザン・ウィンズ 日本編 トウキョウゲーム」で俳優デビューするも、長い下積み時代を過ごしていたのですが、
2007年、テレビドラマ「ハゲタカ」の主人公・鷲津政彦を演じブレイクすると、以降、数多くのテレビドラマや映画に出演して、演技派俳優としての地位を確立しており、
お父さんに負けず劣らずの独特のオーラを放つ、存在感あふれる俳優として人気を博しています。
麿赤兒さんの次男・大森南朋さん。
麿赤兒の子供とのコミュニケーションが独特過ぎる
ちなみに、大森南朋さんによると、お父さん(麿赤兒さん)とお母さんが別居(離婚)後、お兄さんと共にお母さんに育てられたそうで、生活費をもらうため、月1回、高円寺の喫茶店に麿赤兒さんに会いに行っていたそうですが、
その際、喫茶店で、お父さん(麿赤兒さん)の膝の上に座らされ、
まず腕噛め
と、言われたそうで、
大森南朋さんが、言われた通り、麿赤兒さんの腕を噛むと、
もっと強く噛め
と、言われ、
大森南朋さんがギューッと麿赤兒さんの腕を噛むと、
なんと、麿赤兒さんが大森南朋さんの後頭部をギューッと噛んできたそうで、
大森南朋さんは、その時のことを、
で、『痛ててててて』っていう。なんですか、コミュニケーションなんですかね、ちょっと分からないですけど
帰りのバスの中で母親に『あれはなんだったんだろう?』っていうふうに聞くと、当時『野生の王国』っていう番組がやっててですね。
ライオンがかみつきながら子どもを育てた場面があって『あれだよ』って言われました。僕らもあれかと思ってました
と、語っており、
麿赤兒さんは、子供への接し方も独特だったようです(笑)
麿赤兒さんと幼少期の大森南朋さん。
さて、いかがでしたでしょうか。
麿赤兒さんの、
- 麿赤兒の生い立ちは?幼少期に父が戦死し母が精神病!中学で芝居も現実逃避だった!
- 麿赤兒のプロフィール
- 麿赤兒の本名は?芸名の由来は?
- 麿赤兒は2歳の時に父親が戦死していた
- 麿赤兒は小学5年生の時に母親が精神を病み叔父夫婦の家に預けられていた
- 麿赤兒は中学1年生の時に演劇部を設立していた
- 麿赤兒は中学生の時にチェーホフの「熊」、木下順二の「夕鶴」「彦市ばなし」などを演じていた
- 麿赤兒の高校時代は演劇に夢中になるもほとんど現実逃避の感覚だった
- 麿赤兒は大学中退後に「ぶどうの会」⇒劇団「変身」
- 麿赤兒はモリエールの「ドン・ジュアン」の主役に抜擢されるも警察に勾留されていた
- 【画像】麿赤兒の若い頃から現在までの出演ドラマ映画ほか経歴は?
- 麿赤兒は20歳~21歳頃に劇作家の唐十郎と知り合っていた
- 麿赤兒は21歳の時に唐十郎と劇団「状況劇場」を旗揚げしていた
- 麿赤児は27歳の時に「状況劇場」を退団し実業家に転身するもことごとく事業に失敗していた
- 麿赤児は28歳頃に舞踏家の土方巽に弟子入りしていた
- 麿赤児は28歳の時に映画「闇の中の魑魅魍魎」で主演
- 麿赤兒は29歳の時に舞踏集団「大駱駝艦」を旗揚げしていた
- 麿赤兒の出演作品(テレビドラマ)
- 麿赤兒の出演作品(映画)
- 麿赤兒と田中泯が似ている!共演は?舞踏家と舞踊家の違いは?
- 麿赤兒と田中泯が似ている
- 麿赤兒は「舞踏家(ぶとうか)」、田中泯は「舞踊家(ぶようか)」
- 麿赤兒と田中泯の共演は?
- 麿赤兒の元妻ダダとの馴れ初めは?子供(息子)は大森立嗣と大森南朋!
- 麿赤兒の妻ダダとの馴れ初めは?
- 麿赤兒は子供が幼い頃に妻と離婚していた
- 麿赤兒の子供は息子が2人
- 息子(長男)は映画監督の大森立嗣
- 息子(次男)は俳優の大森南朋
- 麿赤兒の子供とのコミュニケーションが独特過ぎる
に、ついてご紹介しました。
日本独自の身体表現である舞踏の世界に身を投じ、1972年には、舞踏集団「大駱駝艦」を旗揚げすると、主宰として唯一無二の存在感を放ち続けている麿赤兒さんですが、
舞踏家としてだけでなく、俳優としても数々の映画やドラマに出演して、見る者に強烈な印象を与えており、その表現への情熱は、80歳を超えてもなお尽きず、まさに”現役”という言葉がぴったり。
そんな麿赤兒さんからは、まだまだ、目が離せません。