1964年、21歳の時、唐十郎さんと劇団「状況劇場」を旗揚げし、以降、唐十郎さんが提唱する「特権的肉体論」を体現する役者として活動すると、
1970年、27歳の時には、「状況劇場」を退団し、実業家を経て、舞踏家に転身し、以降、舞踏家、俳優、振付師、演出家として活躍している、麿赤兒(まろ あかじ)さん。
今回は、麿赤兒さんの若い頃(「状況劇場」旗揚げ)から現在までの出演作品(テレビドラマ、映画)や経歴をご紹介します。
「麿赤兒の生い立ちは?幼少期に父が戦死し母が精神病!中学で芝居も現実逃避だった!」からの続き
麿赤兒は20歳~21歳頃に劇作家の唐十郎と知り合っていた
劇団「変身」に嫌気が差し、「凮月堂」という喫茶店に入り浸るようになったという麿赤兒さんは、ある日、「凮月堂」の窓際でぼんやり外を眺めていると、背広を着た男性が、麿赤兒さんの席の横にすっと立ち、
失礼します。私、唐十郎と申します。これを読んでいただけませんか
と、ノートぐらいの大きさのボール紙を手渡してきたそうで、
(麿赤兒さんは、最初は、唐十郎さんのことを詐欺師かと思ったそうです)
見てみると、そのボール紙には、手書きで「月笛葬法」と書かれてあり、どうやら未完の戯曲らしかったそうですが、
この時点で、麿赤兒さんは、唐十郎さんに惚れてしまったそうで、
麿赤兒さんは、
起承転結のある芝居じゃない、もう一つのトポス(文学・芸術における主題)というか、場を広げているような魅力が、当時流行り始めたベケットの『ゴドーを待ちながら』なんかにはあって。
だけどそれは外国の物だしなぁ、と思ってたところに、ピッタリはまったんですね、その唐十郎のボール紙の台本が。
と、語っています。
麿赤兒は21歳の時に唐十郎と劇団「状況劇場」を旗揚げしていた
こうして、唐十郎さんと意気投合した麿赤兒さんは、1964年6月、2人で劇団「状況劇場」を旗揚げし、以降、唐十郎さんが提唱する「特権的肉体論」を体現する役者として活動したそうで、
麿赤兒さんは、
それからはべったりですね。この男と一緒なら面白くなりそうだ、という予感がしました。7年ぐらいは、マインドコントロールにかかったように、唐十郎に埋没していましたよ。
唐とともに状況劇場を立ち上げ、天下を取ったような気分でやってましたね(笑)。
と、語っています。
麿赤児は27歳の時に「状況劇場」を退団し実業家に転身するもことごとく事業に失敗していた
ただ、そんな麿赤兒さんも、1970年、27歳の時には、唐十郎さんの書くセリフが長すぎることに嫌気が差し、「状況劇場」を退団。
その時は、「もう芝居はやめた!」という気持ちだったそうで、実業家に転身し、レコード販売、コメの産地直送販売、象牙販売ほか、様々な事業を始めたそうですが・・・
ことごとく失敗に終わったのだそうです。
(相当な借金があったそうですが、どうやって支払ったのか、誰が支払ったのか覚えていないそうです)
麿赤児は28歳頃に舞踏家の土方巽に弟子入りしていた
そんな中、自分は商売に向いていないと悟った麿赤兒さんは、以前からの知り合いだった、暗黒舞踏の創始者・土方巽(ひじかた たつみ)さんに弟子入りし、舞踏家になる決意をしたそうで、
(土方巽さんとは、唐十郎さんと出会った約1年半後に知り合ったそうです)
麿赤兒さんは、その理由について、
自分は商売に向かないと、自分で自分に引導を渡しました。
天才の唐を間近で見ましたから、自分が芝居を書けるわけはないし、自分には身体ひとつ、踊りしかない、と踏ん切りがつきましたね。
一方には土方巽という舞踏の先輩がいましたから。
と、語っています。
また、麿赤兒さんは、土方巽さんの魅力について、
土方の踊りは、不可思議なものに挑んでいく難解な踊りでしたが、舞台で表現されると、身体の多面性というか、多様性と言うか、そういうものが現れてきて面白かった。
言葉にして解釈するとつまらないけれども、それだけでは収まらない何かが常にありました。
と、語っています。
麿赤児は28歳の時に映画「闇の中の魑魅魍魎」で主演
そんな麿赤兒さんは、1971年、28歳の時、映画「闇の中の魑魅魍魎」で主人公の絵師・金蔵役に抜擢されると、映画は話題となって、カンヌ国際映画祭にも出品され、
麿赤兒さんも、たちまち、世間に広く名前が知られるようになっています。
(編集者の矢崎泰久さんが日活から独立した中平康監督に麿赤兒さんを推薦してくれたことで主演が決まったのだそうです)
「闇の中の魑魅魍魎」より。稲野和子さんと麿赤兒さん。
麿赤兒は29歳の時に舞踏集団「大駱駝艦」を旗揚げしていた
そして、1972年、29歳の時、独自で舞踏集団「大駱駝艦」を旗揚げし、“天賦典式”と名付けた独自の表現形態で、60以上もの作品を世に送り出すと、
その大仕掛けを用いたダイナミックな舞踏が、国内外で大きな話題となり、「Butoh」として、広く世界に知られるようになっています。
(“天賦典式”とは、この世に生まれ入ったことこそ大いなる才能とするという意味)
また、麿赤兒さんは、舞踏手の育成にも力を注ぐほか、1980年代後半以降からは、映画、テレビドラマ、舞台などにも出演し、その独特な存在感を放ち続けています。
麿赤兒の出演作品(テレビドラマ)
それでは、最後に麿赤兒さんの主な出演作品をご紹介しましょう。
テレビドラマでは、
- 1991年「太平記」
- 1992年「腕におぼえあり2」
- 1993年「有言実行三姉妹シュシュトリアン」
- 1995年「僕らに愛を!」
- 1996年「ふたりっ子」
- 1997年「サイコメトラーEIJI」
- 1998年「ここではない何処か」
- 1999年「蘇える金狼」
- 2000年「葵 徳川三代」
「葵 徳川三代」より。 - 2001年「ハンドク!!!」
- 2002年「真夜中は別の顔」
- 2003年「武蔵 MUSASHI」
- 2005年「優しい時間」
- 2006年「牙狼〈GARO〉」
- 2007年「山田太郎ものがたり」
- 2008年「篤姫」
- 2009年「稲垣吾郎の金田一耕助 悪魔の手毬唄」
- 2010年「女帝 薫子」
- 2011年「金魚倶楽部」
- 2012年「妄想捜査?桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活」
- 2013年「まほろ駅前番外地」
- 2014年「花園オールドボーイ」
- 2015年「世にも奇妙な物語 25周年スペシャル・春 面」
- 2016年「鴨川食堂」
- 2017年「猫忍」
- 2018年「まんぷく」
「まんぷく」より。 - 2019年「ルパンの娘」
「ルパンの娘」より。麿赤兒さんと深田恭子さん。 - 2020年「パパがも一度恋をした」
- 2021年「シリーズ・江戸川乱歩短編集Ⅳ 妖怪博士」
- 2022年「最高のオバハン 第2シーズン」
- 2023年「ハヤブサ消防団」
「ハヤブサ消防団」より。 - 2025年「ひとりでしにたい」
麿赤兒の出演作品(映画)
映画では、
- 1967年「荒野のダッチワイフ」
- 1968年「毛の生えた拳銃」
- 1969年「新宿泥棒日記」
- 1971年「闇の中の魑魅魍魎」
- 1975年「陽物神譚」
- 1979年「神の堕ちてきた日」
- 1980年「ツィゴイネルワイゼン」
- 1981年「陽炎座」
- 1982年「爆裂都市 BURST CITY」
- 1984年「蜜月」
- 1987年「親鸞 白い道」
- 1989年「どついたるねん」
- 1990年「われに撃つ用意あり」
- 1991年「夢二」
- 1992年「青春デンデケデケデケ」
- 1993年「月はどっちに出ている」
- 1994年「ヤマトタケル」
- 1995年「午後の遺言状」
- 1996年「罠」
- 1997年「瀬戸内ムーンライト・セレナーデ」
- 1998年「新生 トイレの花子さん」
- 1999年「菊次郎の夏」
- 2000年「MONDAY」
- 2001年「DRIVE」
- 2002年「自殺サークル」
- 2003年「キル・ビル Vol.1」
「キル・ビル Vol.1」より。麿赤兒さんとユマ・サーマンさん。 - 2004年「理由」
- 2005年「椿三十郎」
- 2006年「ダメジン」
- 2007年「パッチギ! LOVE&PEACE」
- 2008年「魁!!男塾」
- 2009年「黄金花 秘すれば花、死すれば蝶」
- 2010年「人間失格」
- 2011年「まほろ駅前多田便利軒」
- 2012年「劇場版 SPEC〜天〜」
- 2013年「TAP 完全なる飼育」
- 2014年「まほろ駅前狂騒曲」
- 2015年「日本のいちばん長い日」
- 2016年「団地」
- 2017年「関ヶ原」
- 2018年「第二警備隊」
- 2019年「翔んで埼玉」
「翔んで埼玉」より。 - 2021年「劇場版 ルパンの娘」
- 2022年「牛首村」
- 2023年「嘘八百 なにわ夢の陣」
- 2024年「倭文(しづり)-旅するカジの木」
- 2025年「怪獣ヤロウ!」
ほか、数多くの作品に出演しています。
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