1972年、32歳の時、テレビドラマ「木枯し紋次郎」で一躍、脚光を浴びた、中村敦夫(なかむら あつお)さんですが、高校2年生の時には、授業をさぼって名画座に通い、洋画ばかりを見ていたそうで、
大学進学後、学園祭でお芝居をやり、拍手を浴びたことで演劇に興味を持つようになると、大学は2年生の時に中退し、「劇団俳優座」に入団したといいます。
今回は、そんな中村敦夫さんの、生い立ち(幼少期から大学中退まで)をご紹介します。
中村敦夫のプロフィール
中村敦夫さんは、1940年2月18日生まれ、
東京府東京市豊島区の出身(現在の東京都豊島区)、
身長179センチ、
血液型はA型、
学歴は、
平市立第一小学校(現・いわき市立平第一小学校)
⇒平市立第一中学校(現・いわき市立平第一中学校)
⇒福島県立磐城高等学校
⇒東京都立新宿高等学校転校
⇒東京外国語大学インドネシア語学科中退
趣味は、競輪、ゴルフ、
特技は、英会話、
ちなみに、本名は、中村敦雄(読み同じ)で、
(もともとは、お父さんの姓である「遠藤」を名乗っていたそうですが、大学1年生頃、両親が離婚し、お母さんと暮らすようになったため、母方の「中村」姓を名乗るようになったそうです)
お父さんは、元読売新聞記者の遠藤節(えんどう さだむ)さん、
弟さんは、シナリオライターで、「ザ・ハングマン」の脚本などを手掛けた中村勝行さんです。
中村敦夫の小学・中学校時代は父親の出身地・福島県に疎開していた
中村敦夫さんは、新聞記者のお父さんのもと東京で誕生するのですが、小学校に上がる前、東京の空襲がひどくなったことから、お父さんの出身地である福島県平市(現・いわき市平地区)に疎開したそうで、そこで、小学・中学校時代を過ごしたそうです。
中村敦夫は福島県の高校に進学するも、ほどなくして東京の新宿高校に転校していた
中村敦夫さんは、1955年、中学卒業後は、福島県の県立高校に進学するも、ほどなくして東京に戻り、都立新宿高校に転校したそうですが、
実は、学区内で受験する高校を探し、候補に上がった新宿高校と戸山高校の進学校2校を受験すると、見事、どちらも合格したそうで、どちらの高校に進学するか、多少迷った末、新宿高校に決めたそうですが、
その理由というのが、戸山高校の受験の日、中村敦夫さんは履き替えるスリッパを持参しなかったことから、係の先生に小言を言われたそうで、それが気に食わず、新宿高校にしたのだそうです。
(中村敦夫さんが、福島県の高校から東京の高校に転校したのは、東京育ちのお母さんが、地方での生活が性に合わず、なんとかして東京に帰りたいと、帰京のきっかけを探していたからだそうで、中村敦夫さんを東京の高校に転校させることを思いつき、帰京の流れを作ろうとしたのだそうです)
中村敦夫は高校1年生の時は息をつく暇もないほどの競争に大きなストレスを抱えるようになっていた
ただ、新宿高校は、ほとんどの生徒の学力が高かったことから、高校1年生の時には、息をつく暇もないほどの競争に大きなストレスを抱えるようになったそうで、
さらには、思春期特有の哲学的な悩み、学校では満たされない芸術への憧れなどで、頭がおかしくなりそうになってしまったのだそうです。
中村敦夫は高校1年生の時に父親が失職していた
そんな中、この年、追い打ちをかけるように、お父さんが失職したそうで、
中村敦夫さんは、経済的に困窮するようになったことで、勉強をする意欲がなくなり、自分の存在の意味がわからなくなってしまったのだそうです。
(同級生たちは何かの目的に向かって、まっしぐらに進んでいるように見えたそうです)
中村敦夫は高校2年生の時にドロップアウトし、授業をさぼって日活名画座に通い続けていた
そして、ついに、1956年、高校2年生になって間もなく、中村敦夫さんは競争からドロップアウトしてしまったそうで、
授業をさぼり、新宿御苑の塀を越えて中に入って早々にお弁当を食べ、芝生に寝転がっていることが多くなったそうで、放課後は、日活名画座に通い、洋画の名作を見続けたそうですが、
中村敦夫さんは、この時のことを、
今、振り返ってみても、高校で何か重要なことを学んだとは思えない。私が惹きつけられていたのは、スクリーンで展開される人間模様や社会の様相だったような気がする
と、語っています。
中村敦夫は東京外国語大学を受験し合格していた
とはいえ、中村敦夫さんは、高校3年の進路を考える時期に、
先生から、
現役では東京大学は無理
と、言われるほど、優秀だったそうで、
とにかく、浪人だけはしたくなかったという中村敦夫さんは、親や親戚の手前、形だけはつけてしまえ、という気持ちで、受験科目の少ない東京外国語大学を受験すると、見事合格したのだそうです。
中村敦夫は東京外国語大学を2年生の時に中退し「俳優座養成所~劇団俳優座」に入団していた
こうして、東京外国語大学に進学した中村敦夫さんは、大学在学中に、学園祭でお芝居をやったそうですが、その際、拍手を浴びたことで演劇に興味を持つようになったそうで、
大学を2年(19歳)で中退すると、「俳優座」養成所を経て、「劇団俳優座」に入団したのだそうです。
「【画像】中村敦夫の若い頃は?現在までの経歴を時系列でまとめ!」に続く
1963年、23歳の時、「俳優座」に入団すると、以降、舞台を中心に活動し、「俳優座」退団後の1972年、テレビ時代劇「木枯し紋次郎」で主演を務めると、たちまちブレイクを果たした、中村敦夫(なかむら あつお)さんは、 19 …